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第4章④
「変人扱いされなかったか?」
黒木が聞いてくる。金本が答えるより先に、「俺はされた」と彼は言った。
「前にいた隊でさんざん揶揄された。『地面に足をつけている時くらい、飛行機のことは忘れろ』とか、『休みの時までそんなことを考えてるなんて、よほどの戦争バカだな』とか―」
黒木は鼻をならした。長いまつげに縁どられた瞳に、嘲 りの色がありありと浮かぶ。
そんな他人を嘲笑する表情さえ、この男にかかれば毒を含んだ美しさに昇華されてしまうのだが。
「ふん。バカはそっちだろうが、と思ったよ。そりゃ、飛ばしたり、撃ったりの技術は大事だよ。だが、それを実戦で生かそうと思ったら、最初から『こういう場合には、こうする』と頭を使って対処法を決めていた方が、絶対にいい」
熱っぽい口吻 を聞きながら、金本は黒木への見方を少し改めた。
わがままで、日ごろ周りに対して暴虐のかぎりを尽くしている男だが――意外にも、まっとうに物を考えていたらしい。
「たとえば、今日の今村の戦いだって。俺があいつなら、ここで――」
興 に乗った黒木は、「よこせ」と言うや、金本の手にあった木の枝を奪い取ると、それを地面の一点につきつけた。
「思い切って下に逃げた」
金本は午前の訓練を思い出した。あの時、金本の飛燕は下から突き上げる形で上昇し、今村の機体を追いかけていた。黒木の言う動きをされたら、勢いづいていた金本の飛燕は急に方向転換できない。上昇から楕円を描くように下降に転じ、今村機を追うのは可能だったろうが、位置が悪い。逆に、旋回してきた相手の飛燕に後ろから食いつかれた公算が高かったはずだ。
顔を上げた金本は黒木と目が合った。黒木はにやりと笑う。金本と同じことを考えたのは明らかだ。
「――今、お前は後ろから食われそうだ。どうする?」
「……」
金本の頭にいくつかの考えが浮かぶ。だが相手が今村ではなく黒木だとすれば――この位置からの挽回はかなり難しそうだ。
一度食いつかれたら、この男はそう易々と逃がしてはくれない。それだけの技量がある。
「…急降下して。大尉どのの機銃の射程圏外に出ます」
「追いかけるぞ」
金本は眉をしかめた。そうだった。落雷さながらの急降下は、黒木がもっとも得意とする技だ。
しかも――。
「ぎりぎりまで追いかけて行って。お前が上昇に転じる瞬間、上から機銃で撃つ」
とんでもないことを言った。
「……操縦桿を持ち上げるのがわずかでも遅れたら、そのまま地面に激突しますよ。そうでなくても、すれちがいざまに俺の機と衝突する可能性がある」
「だろうな。だが戦法としては有効なのはニューギニアにいた時、実証済みだ。俺はこのやり方で、米軍のF6F(※通称ヘルキャット)を沈めたことがある」
「……危険な飛行は、いずれ身を滅ぼします」
金本は言った。
「そんな無茶な飛び方をしなくても。大尉どのは十分、お強いです」
「…世辞はいらん」
黒木は長いまつげに縁どられた大きな目を、冷ややかに光らせた。
「それともなにか。俺に指図する気か?」
背筋の冷える声に、「もうやめておけ」と金本の理性がささやく。急いで謝罪して、この話はここで終わりにすべきだ――。
だが金本は、その声に従うことができなかった。
「あなたに死んでほしくない」
黒木をまっすぐに見すえる。気の利いた言い方などできない。まして日本語では。
だから、一番、確実に伝わる言葉を選んだ。
「生きていてほしいんだ」
黒木は、何か妙なものを飲み込んだような顔になった。それから、くっくっと笑い出した。
「死んでほしくないだと?――ふん。今まで『死ね』とか『いっぺん死んで来い』とかなら、さんざん言われてきたが。死ぬなと言われたのは、初めてかもな。しかも、殺すのが仕事の戦闘機乗りの口から聞けるとは、思ってもみなかった」
黒木はずいっと金本に顔を近づけた。近すぎて、黒木の肌から発する体温さえ感じられそうだった。
「……いいか。俺はな、ウェワクでアメリカの戦闘機相手にさんざん翻弄された。そこで学んだことはな。通り一辺倒のやり方じゃ、性能のいいアメリカ機には絶対に勝てないってことだ。危険前提で、切り込んでいく飛び方でなけりゃ――もう、勝てない段階に来てるんだよ」
言うだけ言って、黒木は興ざめしたように、棒きれを放り出した。それからいきなり足を伸ばすと、地面に金本が描いた図を乱暴に踏み消した。金本が止める間もなかった。
はなどり隊の隊長はそのまま何も言わずに立ち上がると、くるりと背を向けて金本の前から大股で去っていった。
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