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第4章⑦

 今村と工藤について行った金本は、飛行場の一角を占める掩体壕(えんたいごう)へと導かれた。近い将来に起こるであろう空襲に備え、戦闘機を上空から認識できないように隠す目的で造られたコンクリート製の覆いである。  そのこんもり盛り上がった壕の裏へ回ると、そこに「はなどり隊」の搭乗員たちがいた。いずれも飛行訓練時に、金本が容赦なく敗北へ叩き落した面々だ。  今、彼らは一様に剣道で用いる防具を身につけ、手に手に竹刀を握っていた。  金本はさすがにぎょっとなった。この人数で私刑(リンチ)にかけられたら、ただではすまない。  しかし、逃げ出すチャンスをうかがうより先に、今村が金本の方を振り返った。 「今日、久しぶりに時間があったから、有志で打ち合いをしていた。そうしたら、金本曹長も誘おうという話になってな」  今村は早口でまくしたて、目を細めた。 「できるだろう、剣道」  精一杯自然体を取り繕おうとする相手を、金本は無言で眺めた。なるほど。空の上ではどうしても勝てないのでせめて地上で叩きのめそうという魂胆か。集団で襲いかかるわけでなく、あくまで一対一の勝負にこだわっているあたり、頑迷というか、まだ可愛げがあるというか。  金本は今村に告げた。 「……あまり強くありませんが」 「謙遜は不要だ」 「…分かった。そこまで言うなら、相手になります」  金本は防具や道着を持っていなかったので、ほかの隊員のものを借りた。他人の汗のにおいには辟易(へきえき)したが、うまい具合に寸法は合い、窮屈さはなかった。着替え終わって、竹刀を受け取る。後ろでは、すでに対戦相手が身支度を整えて金本を今や遅しと待っていた。 「――よろしくたのむ」  相手は工藤克吉(くどうかつよし)少尉だった。  おそらく、金本を呼びに来た時点で相談して決めていたのだろう。ここに集まっている面々の中で、彼が一番強い。金本は直感的にそれを感じ取った。  審判は今村がかって出た。 「二人とも準備はいいか?」  工藤が「おう」と返事をする。金本もうなずいて竹刀を構えた。 「では……ーーはじめ!」  最初にしかけたのは、金本の方だった。工藤の左脇めがけて竹刀を突き出す。一撃は、しかし工藤にあっさり防がれる。それから、一気に攻防が始まった。  どちらも相手のスキをうかがい、刺突を繰り出すが、決め手にならない。見守る隊員たちからヤジが飛ぶ。そのいずれもが工藤を応援していた。  そのまま数合、打ちあった後、仲間の声援に応えるように工藤が大胆に踏み込んだ。肩を狙った一撃が金本を襲う。金本はかろうじて受け止めーーそのまま勢いに押されたかのように、身体のバランスを崩した。  その直後、工藤の放った突きが、体勢を崩した金本ののどをまともに突いた。 「―――!」  たまらず、金本は後ろに倒れた。隊員たちのあいだからわっと歓声が上がる。それと対照的に、防具に包まれた工藤の顔に「しまった」という表情がよぎった。  金本は立ち上がろうとして、ふらつき、そのまま激しくせきこんだ。 ――失敗した。  失神こそしなかったが、頭がくらくらする。  だが、さらに金本の頭を痛くする事態が続けて起こった。 「――ずいぶん、盛り上がってるじゃないか」  響きわたった声に、隊員たちが瞬時に静まった。金本も痛む首を、声の主の方へめぐらす。  掩体壕の傍らに、腕を組む黒木栄也大尉が立っていた。  黒木はずかずかと一同の方へ近づくと、うずくまる金本にちらりと目をやった。 「してやられたな、金本曹長」  同情の欠片もない冷たい声に、金本はいささか憮然となった。だが、もとはと言えば自分の判断の誤りが招いた事態である。 「医者は必要か?」 「……いいえ。大丈夫です」 「そうかよ」  黒木はそれだけ言うと、金本のそばに転がっていた竹刀を取り上げた。そしてーー。 「自分たちだけで楽しむなんて。ずいぶん薄情じゃないか、え?」  「はなどり隊」の搭乗員たちに向かって、彼らの隊長は唇をゆがめた。 「俺も混ぜろ」  この上なく美しく酷薄極まりない笑みに、その場の全員が期せず慄然となった。  それはまさに――暴力と流血を希求する羅刹女の笑みだった。

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