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第5章①一九四七年七月

「――殺害された小脇順右(こわきじゅんゆう)の正式な検死報告書は、本日できあがるそうです。河内作治(かわちさくじ)のものについても、来週明けには出ると担当の刑事が言っていました。また、両者の殺害現場に残された血文字については写真を撮り、独自に筆跡鑑定を依頼しました。正式な結果については、今週中に出る予定ですが……おそらく同一人物の手によるものとみて、間違いないと思います」  クリアウォーターはひと呼吸おいて、「報告は以上です」としめくくった。  東京駅から徒歩数分のところにある旧日本郵船ビルの五階。その一室で、U機関の長であるダニエル・クリアウォーター少佐は、彼をその地位に据えた人物――参謀第二部(G 2)を率いるW将軍と向き合っていた。  東京に戻ってすぐに、クリアウォーターは将軍への面会を求めた。将軍は多忙の身である。それでも週が明けた月曜日、昼食後の午後の三十分をクリアウォーターのために割いてくれた。  ドイツからの移民であり、今は准将にまでのぼりつめた初老の将軍は、赤毛の少佐の報告を聞き終えると、低い声でうなった。 「…つまり君の話をまとめるとだ、少佐。西多摩と浜松で発生した二件の殺しは同一人物による連続殺人であり、犯人はさらに殺人を重ねる可能性がある、ということか…」  昼食後で脳の働きが低下している、というわけでもなかろうが。将軍の口ぶりはやや冗長で反応は鈍かった。クリアウォーターから渡された報告書から顔を上げると、そのまま天井と壁のつなぎ目のあたりへ視線を漂わせた。 「――もし、殺されたのがアメリカの軍人であれば。私はすぐにでも君に、調査して事件を解明するよう求めただろう」  将軍はそう言って、水差しからコップに水を注いだ。連日、蒸し暑い日が続いている。部屋の窓は開け放たれているが、生ぬるい風が入って来るばかりだった。  将軍はコップの水を飲み、いかにも、まずそうな表情を浮かべた。 「…しかし、だ。殺されたのはどちらも日本の元軍人だ。確かに被害者のひとり、小脇順右は対敵諜報部隊(C I C)の尋問者リストの中に入っていて、その関係で君に調査を依頼していた。だが、私としては、君はもう十分に職務をまっとうしたと考えている。あとは日本の警察にまかせておけばいいのではないか?」  将軍の言葉に、クリアウォーターはめげなかった。八割方、予想通りの反応だったからだ。   同じことをすでに、副官のサンダースにも言われていた。 「私も、可能ならそれが一番いいと思います。ただ…少し問題が」 「というと?」 「二件の殺人事件を担当する捜査陣営が、協力し合うにはほど遠い状態にあります」 「……なるほど。なわばり意識か?」 「はい。やっかいなことに」  クリアウォーターは事件について経過を教えるという条件と引き替えに、新聞記者の佐野から、彼のつかんだ情報を「買った」。そして、西多摩と浜松の殺人が同一犯の犯行である可能性が高いことを、吉沢と沼田、二人の刑事に伝えたのである。  その結果――両者から、不満の声を聞くことになった。  もちろん、二人ともそれを直接、クリアウォーターに言ったりはしない。そのかわり、標的になったのは間に立つ通訳のカトウだった。アメリカ軍の軍曹といえども、日系人でしかも日本で幼少期を過ごしたカトウの外貌や立ち振る舞いは、日本人にきわめて近しい。年齢が二十そこそこということもあって、愚痴をぶつけることに、遠慮が働かなかったらしい。  いずれ警視庁から問い合わせがあるだろうと聞いて、浜松の沼田刑事は嫌そうな顔をした。 「東京の人間に引っかき回されるのは、またぞろ面倒ですなあ」  一方、沼田のような一地方の警察官に情報を流された形の吉沢刑事は、さらに露骨な反応をした。 「余計なことをしてくれましたな。なんで、黙っといてもらえなかったんですかねえ」  二人とも、クリアウォーターが日本語を解さないと思っているので、赤毛の少佐を目の前に、けっこう言いたい放題だった。無論、カトウに対して、「今のは伝えんでくださいね」と念押しするのを忘れなかったが。  刑事たちが退席した後、カトウは言ったものだ。 「お人が悪いですね」と。  無理はない。二人の刑事の文句と愚痴を全部理解しているはずなのに、クリアウォーターはいかにも「何を言っているのか、さっぱり」という邪気のない表情を終始、保っていたのだから……。 「――足並みをそろえる気がないという点で、どこかの国の陸海軍といい勝負ができそうですよ」 「この国(日本)のか?」 「いえ、我が国(アメリカ)のです」 「確かに。否定はできんな」  クリアウォーターの言葉に、W将軍は万感を込めて応じた。  戦時中、太平洋戦線における戦略と各作戦の指揮権をめぐって、陸軍と海軍の司令官が時に激しく対立したことは、将軍の記憶からまだ風化していなかった。というより、マッカーサー元帥の情報参謀であった将軍は、むしろ当事者の一人である。ちなみに、老将軍の立場は戦中も戦後も一貫して変わらない。  「すべて、マッカーサー元帥にまかせておけば、うまくいく」だ。  ……明敏な頭脳を持ち、現実的で柔軟な采配を振るえるW将軍にも欠点があった。  彼の精神的偶像である元帥を敬愛するあまり、将軍の敬愛は度を越して、盲目的崇拝の域に達していた。

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