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第5章③

 ソコワスキーの仕事部屋は埃っぽく、部屋の主はいつもより疲れているように見えた。服装はさほど乱れていないが、目の下にクマがうっすら浮かんでいる。 「寝不足かい?」  気遣うクリアウォーターの台詞に、ソコワスキーは「少しだけだ」と不機嫌そうに言った。  今年の四月から七月に至るまで、セルゲイ・ソコワスキー少佐は占領軍内でもっとも多忙を極める部類に入る男だった。日本軍の元スパイ「ヨロギ」にまつわる事件の捜査とその事後処理、調査の継続に加えて、さらに七月四日に都内で行われたアメリカ独立記念式典の保安計画にも関わっていた。というのも、GHQによる占領統治をよく思わない団体や個人が、この日を狙って騒動を起こさないか、いつも以上に動向に目を光らせる必要があったからだ。  幸いにして、宮城前でマッカーサー元帥参列のもと開催された閲兵式も、一万五千人の兵士による行進も滞りなく行われ、盛況の内に幕を閉じた。そして、ようやく少し一息つける時期になった――とクリアウォーターは思っていたのだが。  ソコワスキーは、クリアウォーターとおしゃべりをする気はないらしい。自分の事情については一切語らず、単刀直入に用件に移った。 「貴官が小脇順右(こわきじゅんゆう)の殺人事件を調査していることは、W将軍から聞いている」 「うん。対敵諜報部隊(C I C)がなぜ彼を再尋問にかけようとしていたか、その理由を知りたいんだ」  「…小脇の件には、ある日本人団体が関わっている。極右系の愛国主義者団体、K会のことは貴官も知っているな」 「もちろん」  戦前、日本国内と海外の日系人社会で最大勢力を誇っていた愛国主義者の団体である。当然クリアウォーターは知っていたし、かつてそこに所属していた人間を尋問したこともあった。 「K会は占領統治の開始と共に、GHQによって解散させられた。それ以来、なりをひそめていたが。去年あたりから、それを復活させようという動きがあると、対敵諜報部隊(C I C)に情報が上がってきている」 「それについては、私も耳にしているよ――うまくいくとは思えないけどね」  クリアウォーターはそっけなく断じた。  K会は愛国主義と超国家主義を掲げる、軍国主義者の集まりだった。そのことは、日本人なら誰もが知っている。軍国主義が国の隅々までいきわたっていた時代ならいざ知らず。今の日本でその復活を説いても、まともに耳を傾ける人間がそう多くいるとは思えない。少なくとも、かつてのような規模の組織を作り上げるのはまず無理だ。  なぜなら、日本が戦争に負けたからだ。それも、完膚なきまでに。  そして、敗戦とともに、日本人の大半はそれまで軍に対して抱いていた幻想を捨てた。今ではたいていの国民が、現在の窮状を招いたそもそもの原因こそ軍であったと、冷ややかな目で見ている。その態度は別に不自然なものではない。敗北した軍隊に民衆の目が冷酷であることは世界中、どこでも変わるものではないーークリアウォーターはそう考えている。  ソコワスキーはいまいましげに吐き捨てた。 「復活させられると思っているバカがいるのは事実だ。実際に奴らの中には、敗戦時のどさくさで着服した重機や宝石類を売り払っていた連中がいた。多くは元軍人で、売り払って得た金を活動資金に当てていた」 「ひどいな」 「その点は同感だ。だが最近になって、もっと迷惑な話が俺のところに舞い込んできた」 「ほう?」 「K会の中でも、特に急進的で過激な人間が集まってだな。新たな組織を立ち上げた。その連中がなんと、エンペラー(天 皇)の誘拐をたくらんでいるそうだ」 「……いやはや」  クリアウォーターは肩をすくめた。 「冗談だとしたら、出来が悪い。本気だとしたら、もっと性質(たち)が悪いな。仮にエンペラー(天 皇)を誘拐して、何をする気だい? 日本人たちに向かって、『今こそ立て、邪悪な帝国主義者である占領軍を打倒せよ!』とでも呼びかけるのか」  最後の台詞に、ソコワスキーはじろりと赤毛の少佐をにらんだ。 「……少なくとも、連中はそんなことを考えているらしいな。奴らは気づいていないが、内通者がもぐりこんでいる。情報がこっちに筒抜けなのが、せめてもの救いだ」

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