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第5章⑤

「さて。知りたいことは教えてやったんだ。そろそろ仕事に戻らせろ」 「ああ。ありがとう」  クリアウォーターは礼を言ったものの、すぐ立ち上がろうとしなかった。ソコワスキーはもう赤毛の少佐のことなど眼中にないとばかりに、手元の書類に手を伸ばす。だがーー。 「……ヤコブソン軍曹のことなんだが」  クリアウォーターが出した名前に、半白髪の少佐は顔を上げざるを得なかった。 「…あいつがどうした?」 「様子はどうだい」 「まだ来たばかりだ。取り立てて問題はない。少なくとも表面上は、対敵諜報部隊(C I C)のほかの人間とも、無難に仕事をしている」 「そうか…」 「まったく。やっかいなことになったな」  ソコワスキーは汗で額にはりついた髪を、うるさそうにかき上げた。 「よすぎる記憶力があだになるなんて。仲間の死に顔が、頭の中から離れなくなっちまうとはな」  その台詞に、クリアウォーターは沈んだ表情でうなずいた。  今年の四月。関東地方に出回っている麻薬の出所を捜査しているさなか、クリアウォーターと部下たちが乗ったジープが襲撃されるという事件が起こった。  その際、クリアウォーター自身とジョージ・アキラ・カトウ軍曹はごく軽傷で済んだのだが、同乗していたジョン・ヤコブソン軍曹が襲撃者の銃弾を腕に受けて負傷し、そしてジープを運転していたサムエル・ニッカー軍曹が不運にも凶弾に倒れ、殉職するに至った。  ヤコブソンは横浜市内の病院にしばらく入院していたが、その後、順調に回復してU機関に復帰を果たした。  だが、戻ってきた部下の様子がおかしいことに、クリアウォーターはまもなく気づいた。以前に比べ、仕事中にぼんやりしていることが多くなった。また、前にはなかったミスも増えた。決定的だったのは、休憩中にコーヒーを持ってきたフェルミが、うっかり手をすべらせてそれを床に落とした時だ。カップが割れた音を聞いた途端、ヤコブソンは悲鳴を上げてうずくまり、それから十分ほど、過呼吸と身体の震えが止まらなかった。  それらの症状にクリアウォーターは心当たりがあった。ヤコブソンを説き伏せて、ひそかに軍医の診療を受けさせた結果、予期した通りの診断が下った。 ーー戦争神経症。  主に戦場で悲惨な経験をした兵士が発症するストレス反応だ。ニッカーの死ぬ現場に居合わせてしまったことが、発症のきっかけと考えられた。  自分の精神状態が失調をきたしていることを、ヤコブソンは中々認めたがらなかった。そんな部下と、クリアウォーターは粘り強く何度も話し合いの場を持った。そして、つい先日ーーついに、ヤコブソンの方から、執務室にいるクリアウォーターを訪ねてきた。  金褐色の髪の青年は最初、言葉が出てこなかったが、やがて涙ぐみながら訴えた。 「……すみません。U機関(こ こ)で働くことが、もう限界なんです」  おびえと罪悪感と、そして苦痛が、そばかすの残る顔に刻まれていた。 「どこを見ても、ニッカーの姿がちらつくんです。煙草を吸って、くだらない話をして、ゲラゲラ笑ってた顔が。それが急に……になって、俺に言うんです。『助けてくれ。死にたくない』って――」  ヤコブソンをこのままU機関に置くことは、彼にとって拷問に等しい。クリアウォーターは悟った。そして知恵を絞って、ヤコブソンをほかの部署に異動させる決断を下したのである。 「――引き受けてくれたこと、本当に感謝している」  クリアウォーターは言った。ヤコブソンが異動した先こそ、対敵諜報部隊(C I C)――セルゲイ・ソコワスキー少佐のところだった。

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