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第5章⑥

 ヤコブソンは先の大戦中、ソコワスキーの下で働いていた。また先の『ヨロギ』の事件の捜査に関わったソコワスキーは、ヤコブソンの身に降りかかった出来事もよく知っている。現在の二人の関係が一筋縄でいかないことを差し引いても――クリアウォーターが考えつく限り、この半白髪の少佐のところが一番悪くない選択肢だった。 「こっちも慢性的に人手不足だ。使える人間は使うだけだ」  ソコワスキーはうなるように言い、それから、ほんの少し表情を改めた。 「……本当は、退役させるべきじゃないか」 「本人に意思を確かめたよ。迷っている様子だった。だけど私自身の意見を言わせてもらうと――今、退役して帰国するのは必ずしもいい結果につながるとは思えない」 「なぜ?」 「彼の体験した出来事を、分かち合える人間がそこにいないからだ」  戦争が終わった後、戦場から故郷に戻ったはいいが、元の生活に適応できない――そんな人間は、実のところ少なくない。周囲から孤立する者。以前より暴力的になる者。白昼の悪夢に(さいな)まされ、苦痛をまぎらわせようと薬におぼれる者。  そして――終わりの見えない苦痛から逃れるために、自ら命を絶ってしまう者。  皮肉なことに、クリアウォーターにそんな人間たちの存在を教え、考えるきっかけを与えてくれたのは、亡くなったサムエル・ニッカー軍曹だった。 「相手が戦地にいった兵士だったら言えるんですよ」  ある時、軽い口調にまぎらわせながら、ニッカーはクリアウォーターに胸の内を明かした。 「自分が運転するトラックに味方の亡骸をのせて運んでいる間、どんな気分だったか。でも同じ話を、母親や恋人にはしようと思わない。多分できないと思います」  人間が人間ではいられなくなるーーそんな地獄絵図を、愛する人間に話したくはないと、水色の瞳を持つ軍曹は言った。 「それでも……そんな地獄で自分がどんな気分だったか、誰かに理解はしてもらいたいんですよ。自分でも、矛盾していると思うんですけどね。それが本音です」  誰かに話し、共感を得られることが、結果的に精神的救済をいくらかでも得られる――そんな趣旨のことをニッカーは語った。自分自身や他人の経験に照らし合わせ、クリアウォーターはこの部下が経験則で会得したことが正しいと、感じていた。 「……東京に残れば、ヤコブソンは同じ現場に居合わせた私と話をすることができる。あるいは、カトウ軍曹とも。それがどれほど救いになるか分からないが、ないよりはましだと思うんだ」  クリアウォーターはソコワスキーに言った。 「頼むよ。彼のことを、他の人間より少し注意して見てやってくれ」  頭を下げるクリアウォーターを、ソコワスキーは複雑な表情で見つめる。半白髪の男はため息をついた。 「――できる範囲で、努力はする」  それからぞんざいに手を振ると、今度こそクリアウォーターに出ていくように告げた。

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