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第6章③

 黒木を先頭に「はなどり隊」の飛燕たちが旋回する。だが、その旋回行動によって、かろうじて保たれていた編隊の形がついに崩れた。  方向転換がうまくいかず、一気に数百メートルも滑り落ちる機が続出したのである。金本が後ろを見ると、彼についてこれた機体はひとつもなかった。そして前はと言えば、はるか前方にただ一機だけが、高度を保って飛行していた。尾翼の塗装からそれが隊長機――黒木の機体だと分かった。その時、無線機に通信が入った。 「誰か、高度を落とさなかったやつはいるか?」  黒木の声だった。金本はすぐに応答した。 「こちら金本。大尉どのから見て、七時の方向、八〇〇メートルほどの距離にいます」 「……ち。ほかは?」  雑音交じりの交信の結果、残りは脱落したことが判明した。 「落ちたやつらは、ゆっくり上がってこい」  黒木はそれだけ言って、通信を切った。金本への指示はなかった。  前方の飛燕が進む。金本は高度を落とさぬよう、慎重についていった。  近づくにつれ、徐々に追跡している機体が迫ってきた。 ーーなんて大きさだ。  全身を銀色に輝かせ、群青色の空に傲然と浮かぶ様は、本当に海のくじらのようだった。敵の航空機だということも一時忘れ、金本はその偉容に魅入られた。 「B29……」  アメリカ合衆国がほこる最新鋭の大型爆撃機だ。全長三〇メートル、全幅四十三メートル。総重量は六十トンを超える、まさに「空の要塞」だ。その巨体に比べれば、金本たちが乗る「飛燕」など、コンドルを前にした小さな燕に等しかった。  そして今、その巨鳥の背後から、一機の航空機がよろよろふらつきながら追いすがろうとしていた。先に離陸した味方の武装司偵だった。 「あのバカが。後ろから近づくのは自殺行為だ」  無線ごしに黒木が悪態をついた。酸素ボンベでも補えない酸素不足と、まつげすら凍る極寒で、さすがに余裕がなくなっているのだろう。素の口の悪さがあらわになっている。  だが、黒木の言うことはもっともだ。B29は背後から近づく敵に対処するため、尾部に銃座が設けられている。その機銃の弾が当たれば、あっという間に撃墜されてしまう。 「司偵と敵機の間には、まだ距離があります」  金本はつとめて冷静な口調で言った。 「三〇〇メートルほど。あれなら、まず当たりません」 「…とにかく上がるのが先だ」 「了解」  二機の飛燕は上昇を続けた。だが九五〇〇メートルの高度で、金本の飛燕はそれ以上、進めなくなった。速度をつけて上へ進もうとするが、進んだ分だけすぐに落ちてしまう。黒木との距離が徐々に開き始めた。 「大尉どの、待ってください。これ以上の上昇は無理です」  金本は無線で呼びかけた。だが、返事がない。もう一度、同じことを繰り返すと、やっと黒木が応答した。 「上がってこられないなら、そこにいろ」 「待ってください。単独では危険です……」 「うるさい」  ブツッという音と共に通信が切れた。それ以上は、金本が何度呼びかけても返事はなかった。

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