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第6章⑥
「――今日、上空で黒木大尉どのは敵のB29に一人で近づいていった。でも俺は追いつけなかった。自分の実力のなさが、あれほど情けなかったことはない」
飛燕の翼の下で、金本は整備員の中山相手に語った。黒木が単機でB29に挑んで、撃墜されるのではないか――置いてきぼりをくらったあと、金本はずっと気が気でなかった。
黒木の無事が確認できた時、金本は心底安堵した。航空兵となって以来、誰かの身をこんなに案じたことは多分ない。その時、自覚せざるを得なかった。
黒木栄也は自分にとって特別な人間だ。
金本にとって、第三者の突然の死はもう日常の一部となっていた。多少、悲しんだとしても、それを受け入れて、そして受け流すことにずい分、前に慣れてしまっていた。
だけど――黒木に対して同じ態度で臨める気が、ちっともしなかった。
空の上で黒木に追いつくことができなかった時――自分の力不足が、何より歯がゆかった。
せめて、となりにいたいと金本は切実に思った。
「……俺は、金本曹長の実力が劣っているなんて思っていません」
中山はきっぱり言った。
目をしばたかせる金本に、彼の機付整備班長は熱のこもった口調で続けた。
「あなたはとても優秀な搭乗員だと、みんな言っています。訓練の時に、ほかの誰にも負けたことがないのは、俺も知っています。黒木大尉どのにだって、負けたことはないでしょう」
「いや。それは剣道の時のことだが……」
「とにかく! あなたが黒木大尉どのに追いつけなかったのは、飛燕の機体の性能に差があったからです。大尉どのの機体は、千葉軍曹どのが整備している。千葉さんはこの飛行隊で一番の整備員だ。黒木大尉どのの飛燕がよく飛んだのは、それが理由です」
中山は工具をしまうと、小さな身体を目一杯、伸ばした。
「千葉さんのところに行ってきます。大尉どのの機体にどんな工夫を施したのか、必ず秘密を聞きだしてきますから」
そのまま金本が止める暇もなく、中山は駆け出して行った。
残された金本は少々、呆気にとられた。
――……おとなしいやつだと思っていたが。
中山が見せた頑 なな一面に、金本は意外さを感じた。
ふと思い返せば、周りの人間が大なり小なり今日の出来事から影響を受けて、興奮しているのではと思った。
ほかならぬ金本自身も、中山を相手に、いつになくよく話した。
「さて………」
することのない金本は、そのままぼうっと座っていた。飛行はたとえ短時間でも、神経と体力を消耗する。いい加減、眠くなってきた。横になるかと金本がボンヤリ思っていると、千葉のところに行ったはずの中山が戻ってきた。行って、帰ってきたにしても早い。
それに、一人ではなかった。
緊張した顔の中山の後ろには――なんと、黒木がいた。
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