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第7章⑰
「…!! 確かに俺は兄に手紙を送っていました。けど、どの手紙にも、返事は帰ってこなかった。一通も!!」
蘭洙は必死に説明した。
「その手紙だって、最後に送ったのはもう半年以上前のことです。叔父の家から兄が家出した後は、俺からも出さなくなった。居場所が分からないから、送りようがなかったんだ。本当です!!」
甲本は無言で、蘭洙の顔をたっぷり三十秒は眺めた。それから、
「……飛行学校に確認すれば、すぐにわかる」
そう言って、ようやく危険な文房具を引っ込めた。
「――朝鮮 愛国団 」
蘭洙に向かって、甲本は唐突に言った。
「朝鮮愛国団という組織を、貴様は知っているか?」
「…いいえ」
蘭洙は答えた。本当だった。甲本は蘭洙の反応を眺めながら、蓋をはめた万年筆を手の中でいじる。次に気に入らないことを言えば、再び先ほどのやり取りを再現する――そんな意思表示に見えた。
「朝鮮愛国団は、わが国から朝鮮を分離独立せんことを目論む過激派の地下組織だ。上海に拠点を置いている」
眼鏡の奥にある甲本の目が、冷たい光を放つ。こちらのスキをうかがって、かみつく機会を狙っている毒蛇のようだ。目をそらしてはいけないと、蘭洙は直感的に思った。
「奴 らは、手段を選ばぬ狂信者の集まりだ。革命を起こすなどと称しながら、やっていることは日本人を標的にした手段を選ばぬ暗殺・襲撃だ」
甲本は日本の要人が標的になった事件を挙げた。その内、数年前に上海で起こった「天長節(天長節は天皇の誕生日のこと)事件」では、愛国団の実行犯が持ち込んだ爆弾が原因で、複数の死傷者を出した。
蘭洙は当時まだ子どもだった。だが、かなり騒ぎになったことはうっすら覚えていた。
「――つい昨日のことだ。この不逞鮮人どもが、この帝都で爆弾を爆発させた。標的は畏れ多くも……幼い東宮(皇太子)殿下だ」
蘭洙は驚いた。いずれも、初めて耳にする話だった。
だが、真に驚愕するのは、ここからだった。
「事件が、朝鮮愛国団によって計画・実行されたことはすでに判明している。そして、殿下の御料車を狙って爆弾を爆破させた男の名はーー金光洙。貴様の兄だ」
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