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第7章⑲
高島中将が上原中尉をともなって出て行ったあと、間馬大佐は深々と息をついた。
高島は出て行く時、当然のごとく不機嫌だったが、不当な要求を掲げて横やりを入れてきたのは向こうの方だ。自分はただ筋を通して、職務をまっとうしただけである――そう、間馬は自分に言い聞かせた。それでも肩をいからせた中将の後ろ姿を思い出すと、不安がわいてきた。間馬は苦虫をつぶした顔で、甲本貴助中尉を呼び出した。
「どうだ。金蘭洙は何か吐いたか?」
「…尋問を始めて、まだ三時間です」
そんな短い時間で得られる成果は、たかが知れている。そのことを甲本は暗に示したつもりだったが、残念ながら間馬には通じなかった。
「三時間もあれば、少しくらい判明したことがあろう」
憲兵大佐はとげのこもった口調で言った。
「朝鮮愛国団のことはどうだ。東京近辺に潜伏している構成員について、何か話したか」
「いいえ」
甲本は短く答えたあとで、慎重に付け加えた。
「――これはまだ小官の印象に過ぎませんが。金蘭洙は本当に、朝鮮愛国団の存在も、自分の兄がそこに属していたことも、知らぬようでした」
「そんなことがあるか!」
間馬は思わず叫んだ。
「金光洙は弟の手紙を何通も所持していた。連絡を取り合っていたのは、明らかだ」
「確かに。しかし、所持していた手紙について、封筒の消印を改めて確認しましたが、いずれも消印は半年以上前のものでした」
「それがどうした」
「金光洙が叔父のもとから出奔したのが、ちょうど半年前。金蘭洙は兄が失踪してから、行き先を知らず、手紙も出していないと言っています。もし、我々が疑っているように、愛国団の指示を受けた金光洙が、弟を工作員として飛行学校に入校させ、わが国の陸軍航空に関する情報を得ようとしていたのなら――両者が半年以上も連絡を絶つのは、少々不自然です」
「………」
「おまけに手紙には親族間で交わされる、ごくありふれたことしか書いておりませんでした」
「我々の嫌疑の目をそらすために、まずい内容の手紙は廃棄したのでは? そうだ、そう考えれば消印の問題は解決する。そうだろう」
「…おっしゃる通りです」
甲本はそう答えたが、腑に落ちなかった。
もし弟との関係を隠そうとするなら、そもそも事件現場に手紙を携帯することが不自然である。不用意にもほどがある。金光洙のその行為は、事件後に実の弟がどんな立場に立たされるかについて、ほとんど無頓着と言ってもいい。
それは裏を返せば――今回、金光洙が起こした事件と金蘭洙とは、本当に無関係ということを意味しないか?
甲本は憲兵大佐の方をうかがった。間馬は初めから、金蘭洙がクロだと決めつけていた。もっとも、甲本も捜査を始める前はそう思っていた。しかし、金蘭洙と実際に言葉を交わせば交わすほど、この朝鮮人の男が本当に、兄のことを何も知らなかったという印象を深めるようになっていた。
ーーだとすれば。金蘭洙に時間を費やし過ぎるのは、あまりよくない。
甲本は別に蘭洙の身がどうなろうと、かまいはしない。ただ間違った線を追い続けることで、ほかの証拠を失ったり、事件に関与した人間を取り逃がすことはあってはならない。
甲本の、己が職務に対する忠誠心がそれを許さなかった。
しかし、甲本の内心と裏腹に、間馬は彼にこう言った。
「飛行学校における奴の就学態度や学業成績、また人間関係に捜査の手を広げろ。探せば絶対に何か見つかるはずだ」
「………」
何かとは何だと、甲本は問い返したかった。間馬には、一度こうだと思い込むと、ほかのものが見えなくなるという欠点がある。そして、憲兵隊の中でそれに気づいているのは、甲本を含む、わずかな人間だけだった。
間馬はさらに言った。
「それから。今後、飛行学校に対する捜査は、事前に承諾を得てから行うように。それを忘れたせいで、私がお叱りを受けたぞ」
甲本は少し怒りを覚えた。飛行学校に知らせずに金蘭洙を連れてこいと言ったのは、大佐自身なのだが、どうやらそのことは都合よく忘れているようだった。
内心の様々な不満を押し殺し、甲本はやむなく答えた。
「……承知しました。では金蘭洙への尋問は―ー」
「人を変えて継続しろ。金光洙と背後の愛国団の関係について、徹底的に締め上げて吐かせろ」
「…分かりました」
甲本は淡々と敬礼し、その場をあとにした。
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