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第7章㉓

 しかし高島が一連のことを話し終えても、東條に心を動かされた様子は見えなかった。 「…『疑わしきは排除せよ』だ、高島中将」 「何?」 「金蘭洙は確かに、皇太子殿下を狙った非道な事件と無関係かもしれない。だが、金光洙の血のつながった弟だという事実は覆らない。そして、その事実が存在する以上――疑念は決して消えることはない」  東條はずいっと、高島の方に身を乗り出した。 「金蘭洙をこれ以上、陸軍の内に抱え込むことは、どの方向から見ても適当ではない――彼を飛行学校から退学させろ。そうすれば、後はこちらと憲兵隊でうまく『処理』する」  高島は目を細め、東條を冷ややかににらんだ。彼が言ったのはひと言、「断る」だった。  憲兵隊に捕らわれた金蘭洙が今、どんな状態に置かれているかさえ分からない。だが、飛行学校の操縦生徒という身分が、わずかながらでも彼を護る盾になっているのは間違いない。それがどれほど心許(こころもと)ない脆弱なものだとしても、ないより遥かにましだ。  もし、それさえ失えば、どんな結末を迎えるか。それは、東條が言った「処理」という言葉に端的に表れていた。  おそらく「処理」に携わる人間たちは、金蘭洙を生かしてはおくまい。  たとい運よく死なずに釈放されたとしてもーー軍から追放された朝鮮人を、今度は特高警察が爪を研いで待ちかまえている。彼らの取り調べの苛烈さは、憲兵と比べても遜色がない。  どちらにせよ、軍から追い払われることはーー遠からぬ「死」を意味した。    高島の返答に、東條は不機嫌を露わにした。それでも、航空本部長は執拗に説得を続ける。 「高島中将。君は我々にとって必要な人間だ。大逆人の弟、それも朝鮮人のために、(うえ)の不興を買うのを、私はみすみす見過ごせない」 「見過ごしてもらって、けっこう」  高島は言い放った。 「なるほど、金蘭洙は大逆人の弟だ。朝鮮人だ。そしてーー私が校長をつとめる軍学校の生徒だ。それを己の利益のために切り捨てて顧みないというのなら、そもそも私は今の地位にあるべきではない」  高島は決然と立ち上がった。 「話はそれだけか? なら、私はこれで失礼させていただく。陸軍大臣にはこう伝えてくれ。もし、金蘭洙の退学を望むのであれば、その前にこの高島を校長の地位から罷免し、適当な人物を後釜(あとがま)に据えればいい、と」

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