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第7章㉔

 高島中将が出て行ったあと、東條は椅子に座りこんだまま、しばらく動かなかった。そこに航空本部の総務課に属す少佐がやって来た。日ごろ目をかけているその少佐に、東條は苦々しい表情を向けた。 「…高島の説得は失敗だった。高潔も度が過ぎると、考えものだ」 「高島中将は何と?」 「金蘭洙を退学させたいのであれば、まずは自分を罷免するよう言ってきた」 「では、高島中将を……」 「いいや。大臣は十中八九、切らんだろう」  高島の名望は陸軍内に少なからぬ影響を持っている。校長の地位から追うことを大臣はためらうだろう。東條は不満を込め、ため息をついた。 「高島は切るべきだ。多少の批判は出ようが、大逆人の弟を軍内から追放するという目的が達せられるのであれば、その声は抑え込める。大臣には残念ながら、そのことがあまり分かっていないご様子だが……」  高島の恨みを買うことになっても、自分が大臣を説得するほかない――東條がそう思いかけた時、目の前の少佐がかしこまって口を開いた。 「閣下。申し上げたいことがあります。よろしいでしょうか?」 「なんだ、河内少佐?」  東條のいぶかしげな視線を受けた河内作治少佐は、おもむろに自分の考えを説明した。  河内の言葉を聞く内に、東條の表情が少しずつ変化し始めた。すべてを聞き終えた時、東條は得心した顔でうなずいた。 「…なるほど悪くない。中々の妙案だ」 「恐れ入ります」 「よし、ひとまずそれでいこう。呼び出しが必要なのは高島と、それからーー憲兵司令だ」  東條は必要なことを頭の中で並べながら、部屋をあとにした。  東京憲兵隊の甲本貴助中尉が金蘭洙と再び対面したのは、蘭洙が逮捕されて二日目となる夜のことである。  蘭洙が入れられている尋問部屋の前まで来た時、甲本は中にいる同僚が怒鳴る声を聞いた。 「ーー強情だな。だが、『何も知らない』なんて言い訳がいつまでも通用すると思うな!! どうせ縛り首になるんだから、さっさと吐いて楽になった方が身のためだぞ……」  甲本はその場に立ち止まる。しばらく待っていると、その憲兵が部屋から出てきた。今までの経緯を尋ねると、相手は不機嫌そうに、金蘭洙は大逆事件の計画について「知らない」の一点張りを繰り返すばかりで、ろくに情報を得られていないことを認めた。  甲本が部屋に入ると、蘭洙がゆっくり顔を上げた。  憲兵たちが夜通し交代で尋問を行ったため、蘭洙は四十時間近く睡眠をまったく取れていなかった。腫れあがった顔は憔悴しきっていて、服の袖から青あざがのぞいている。指に血がこびりついているのは、尋問者の一人が昔からある拷問を実行したからだ。竹串を指の爪と肉の間に突き刺すという方法は、神経が集中しているだけに、ひどい苦痛を与える。軍人になるための教育を受けたとはいえ、わずか十八歳の若者には耐えがたいはずだ。   だが甲本は蘭洙の傷を見ても、何ら反応は示さなかった。何事もなかったかのように蘭洙の対面にある椅子に腰かける。 「――ひとつ、賢明だったとほめてやろう」  甲本は言った。 「貴様の証言はすべて、裏づけが取れた。金光洙と貴様は、この一年半、疎遠な関係になっていた。また、朝鮮愛国団と貴様との間のつながりを示す証拠も、いまだ上がってきていない」  甲本は持参してきた資料を、これみよがしに開く。 「飛行学校における成績も、見事なものだな。人物評価は少し難があるが。『直情短気なる面あり』。上原という中尉にも話を聞いたが、もう少し自重すべき……」 「……させてくれ」  甲本は資料から顔を上げた。顔を伏せたまま、蘭洙は繰り返した。 「兄さんに会わせてくれ」

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