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第7章㉚
……もうどこが痛いのか、蘭洙には分からなくなっていた。
徹底的に打ちのめされた身体は、後ろ手で手錠をされていることもあって、動かすことさえままならない。床に寝かされた状態のまま、思うのは二つのことだけだ。
痛い。痛い。痛い。痛い………―――――死にたい。
「……なぜ、俺をまだ生かしている」
蘭洙をここに閉じ込め、そして自らも中に立てこもった男に向かって、床の上から尋ねた。
入口の扉を背にして椅子を置き、そこに座る甲本は、蘭洙の質問に最初、答えなかった。だが、沈黙するよりも会話に応じた方が、面倒ごと――たとえば舌を噛んで自殺を試みるなど――の起こる可能性がまだ低いと考え直した。
「それが、上の意志だからだ」
甲本は噴き出る汗をぬぐって答えた。部屋は窓がなく、ひどく蒸し暑い。もう上着を脱いだ方がいいかもしれない。数秒、逡巡して、甲本はそれを実行した。
「憲兵司令部から最後に下った命令は、『金蘭洙を生かしておけ、死なすな』だ。それを守っているだけだ」
勝手に自殺などされては困る。それ以上に、敵愾心や復讐心にかられた憲兵たちが、蘭洙を自殺に見せかけて『処理』することを防がねばならない。甲本にとって、自分が蘭洙と一緒に閉じこもって彼を監視することが、一番確実で安心できる方法だった。
甲本は持ち込んだやかんの茶を、湯飲みにそそいだ。
「口をあけろ。飲め」
「…欲しくない」
蘭洙は顔をそむけた。
「いいから飲め。脱水がすすむ」
甲本がなお言うのを、蘭洙は目を閉じて無視した。すると顔にばしゃっと茶をかけられた。
滴のいくつかが口に流れ込む。口中のかさつきが、それで少し軽減された。
甲本は湯飲みを置くと、暑そうにシャツの袖までめくりはじめた。そういう動作をしていると、今まで抱いていた非人間的な印象がずいぶん弱まる。しかしーー。
「…もし、殺せと命令があったら」
蘭洙は甲本に尋ねた。
「あんたが俺を殺すのか?」
「そうだ」
憲兵中尉は手も止めずに言った。まるで、「眼鏡をかけているのは、目が悪いからか」と聞かれた時のような答え方だった。
蘭洙はそれを聞いてかすかに笑った。なぜ、こんな状況で笑えてしまうのか、自分でも全然分からない。
甲本も同じことを思ったらしい。胡乱な目で蘭洙を眺める。
しばらくすると、床の上に転がされた蘭洙が目を閉じた。そして、一分も経たない内に浅い寝息を立て始めた。
「……勝手に寝るな。寝ていいと、許可は出していない」
甲本は言ってみたが、もちろんそんなことで蘭洙は起きたりしなかった。
甲本は舌打ちした。かといって、わざわざ蹴り飛ばしてまで起こすのも面倒だった。
憲兵中尉は薄汚れた天井をあおぎ、憲兵司令部からの指示が早く下るよう願った。
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