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第7章㉜

「なに。実戦で鍛えられるだろう」  東條はこともなげに言った。  高島は眉をひそめ、考える。  現在、日本は宣戦布告をしないまま、中華民国と事実上の交戦状態に入り、大陸での戦線は拡大の一途をたどっている。一方で、満洲国とモンゴル人民共和国の国境では、ソ連軍との間で小競り合いが続いていた。小規模な衝突は、いつ本格的な戦争に転じてもおかしくない状態にあった。  東條の目論見は透けている。彼は金蘭洙を長く生かしておく気はない。  火種の尽きぬ場所に放りこみ、早々に戦死させる気だった。 「…いいか、高島中将」東條は身を乗り出す。 「金蘭洙を内地に置いていても、百害あって一利なしだ。我々にとっても、やつ本人にとっても。これはむしろ慈悲だ。愚かな兄の犯した大罪を、戦功でもって(あがな)う機会を与えてやるのだから」 「……戦果を挙げる前に戦死しかねんぞ」 「ふっ、それこそ――」  東條は我が意を得たとばかりに笑った。 「名誉なことだろう。帝国軍人として死ぬ。これ以上の誉れはない。地に堕ちた家名も、少しは救われるというものだ」  高島が黙り込むのを、東條は満足気に眺めた。 ――金蘭洙を最前線へ送り込み、可及的速やかに戦死させる――  まったく、河内作治少佐は妙案を思いついたものだ、と東條は悦に入った。この方法なら、陸軍は何も手を汚さずに危険分子を葬り去ることができる。一方、金蘭洙が軍人として死ねば、その実家も少しばかりは周囲の同情を得られるだろう。弟が自らの生命でもって罪滅ぼしをするというのはなかなかの美談であり、朝鮮統治の上でも教範となるような話ができあがる。  どこを取っても丸くおさまる。いいことずくめだ。    ……高島は沈思する。  もし東條の案に従えば、金蘭洙は一年と経たない内に戦死するかもしれない。  だが、内地に居続けることも危険だと、高島は認めざるを得なかった。今の日本には武力にものを言わせて自己の主張を――あるいは欲望を――押し通し、実現せんとする輩に事欠かない。大逆人の身内を迫害し、ひいては抹殺することが正義だと勘違いする人間は、いくらでもいるに違いなかった。 ――袋小路だな。  内地にいても、外地にいても、金蘭洙の生命を奪わんとする者が、爪をといで待ちかまえている。一体、あの若者が何をしたのか。彼自身の過ちや罪ではないのに、存在することさえ許されないのか。  高島は以前、市電の中で蘭洙が見せた横顔を思い出す。自分の力で道を切り開こうとする、意志に満ちた顔を――。  強くあれ、若人よ――高島は念じた。  わずかに残された活路は、過去を問われない場所で前に進むことだけだ。険しい道を切り開き、歩みを止めずに突き進む。その軌跡が、いずれは彼を生かす(しるべ)となるはずだ。  戦場で、必要とされる人間になることで――。 「……分かった。その提案、飲もう」  高島はついにそう言った。

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