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第8章③

「……答えにくい質問でしょうが。河内作治をうらんでいた人間に、心当たりはありますか?」  問われた矢口は、苦笑いした。 「心当たり? そうだな。先ほど言った理由で、河内を嫌っていたり憎んでいた人間は相応にいたはずだ」 「殺したいと思うほどの強い恨みと、それを実行するだけの行動力を持つ人間なら?」 「ふむ。今日、あなた方が来ると聞いて、改めて新聞を読み返したが。単に通り魔に刺されるような殺され方ならいざ知らず、ドラム缶で死体を焼くほどの手間をかける人間となると……」  クリアウォーターはこれまでの矢口の受け答えや態度から、情報の一部を明かしても問題はないと判断した。 「新聞には書かれていなかったことですが。実は河内作治は拉致された上で、生きたままドラム缶の中で焼き殺されたんです」 「……なんと」  矢口もその手口の残忍さには驚くほかないようだった。  元少将の前に、クリアウォーターはさりげなく一枚の紙を差し出す。 「そして、河内の殺害現場にはこんな文字が残されていました。これについて、何か心当たりはないでしょうか?」  受け取った矢口は紙を眺め、あごをさすった。 「…『此身死了死了、一百番又死了』? 漢詩か、これは……?」  矢口の反応にクリアウォーターとアイダは視線を見かわす。アイダが、わずかに肩をすくめる仕草をする。残念ながら、矢口にも心当たりはないようだった。  正午前から始まった尋問は途中、何度かの休憩を挟んで夕暮れ近くまで続いた。  まもなく辞去する頃合いという時だ。矢口は何か思うところがあったようで、「先ほどの紙をもう一度、見せてほしい」と言った。  紙をじっと見つめ、矢口はずいぶん長く沈思していた。クリアウォーターはさりげなくうながした。 「思いついたことがあれば、どんなささいなことでもいい。話してくれませんか?」  アイダによって訳された日本語を聞き、矢口はようやく重い口を開いた。 「――この十二文字。『自分は死んだ、死んだ、百回も死んだ』と読める。何というか……死んだ者が生きている者に対して、恨みを込めて責め立てているようにも読める」 「…確かに」 「河内を殺した人間は間違いなく彼を憎んでいたのだろう。しかし、その憎しみは河内以外の者にも向けられている。そんな気がする」 「河内以外の者とは?」 「たとえば――私だ」矢口は淡々と言った。 「私以外にも……あの戦争を指導し、大勢の人間を死地に追いやりながら、自身はのうのうと生き延びたーーそんな人間に向けて叫び、罵倒し、弾劾しているように思えてならないんだ」  矢口は深々と息を吐く。家の周りで、ヒグラシが鳴いている。視線を宙に漂わせた元少将の横顔は、一気に十歳近くも老け込んだように見えた。

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