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第8章⑬

…夜中、寝返りを打った拍子にクリアウォーターは目を覚ました。  枕元に置いた時計を見ると、午前三時を回ったところだ。ベッドの反対側のカトウは深い眠りに落ちている。クリアウォーターはしばしの間、その寝顔に見入っていたが、ウィスキーの酔いがさめたせいか、すぐに眠気が戻ってこない。やがてベッドから音をたてないように抜け出すと、裸身の上にナイトガウンを羽織って立ち上がった。  クリアウォーターは寝室と続き部屋になっている書斎の椅子に腰を下ろした。眠りが浅くなったのはアルコールのせいばかりではない。カトウと過ごす夜を、逢瀬を楽しみながらも――不意に今、手がけている事件のことが頭に浮かぶ。無意識の内に、脳は絶えずそのことを考えているのだろう。  クリアウォーターにとって、日本の元軍人たちに尋問を行うのは、何も目新しいことではない。むしろ、それは対敵諜報部隊(C I C)にいた頃から、あるいは大戦中に連合軍翻訳通訳部(A T I S)で働いていた頃からのいちばん主だった仕事のひとつだった。それでも、この十日間で行った尋問は改めて、クリアウォーターに様々なことを考えさせるきっかけを作ったーー。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「――昭和二十年八月十五日。玉音放送を聞いたその日の夜、私の頭を占めていたのは、いつ自決するかということだった」  そう言って、矢口馨(やぐちかおる)元少将が尋問の最後に切り出した話は、半ば独白に近いものだった。なぜなら、それを始める前にわざわざ通訳のアイダに断りを入れたからだ。 「今からする話は、その少佐には伝えないでくれ」と。  元少将にとって、赤毛で緑の目をしたアングロサクソン系のアメリカ人が、日本語をほぼ正確に理解できるなど想像の外のことだった。アイダはクリアウォーターにだけ分かるように軽く目を細め、「俺と世間話をしたいそうです」と矢口の希望に合わせた演技をした。  それから、初老の元少将の方に向き直る。 「どうぞ、話してください。今から聞くことは、翻訳しませんから」  嘘はついていない。だから何も恥じることはないーーアイダはそう思いながら、表面上はあくまで神妙な顔を保つ。内心で、自分のやり口がだんだん上司に似て来たなと、皮肉っぽく考えた。  矢口は少しだけ声をひそめて、語り出した。 「……私は大勢の若者を死地に追いやり、無為に死なせた。何より、敗北のことを天皇陛下にお詫び申し上げるには、自決以外に道はないと思っていた。ところが――状況がそれを許さなかった。進駐してくるアメリカ軍に遅滞なく飛行場を引き渡すための処理にすぐ追われるようになり…それを終えた頃には時間が経ちすぎていた」  矢口は苦しげに顔をゆがませた。 「『死ぬ機会を逸した』ーーそう言えば、言い訳にしか聞こえんだろう。だが、事後処理を終えて復員する頃には、あれほど()りつかれていた自決を実行する気はすっかりなくなっていた。私は生まれ故郷に戻り、こうして今も生き恥をさらしている」  その時、ちょうど家の中から子どもが笑いころげる声が上がった。おそらく先ほどの少年のものだろう。それを聞いても、矢口が心動かされた様子はなかった。 「海軍の宇垣(うがき)中将のように、道連れをつくって世間から非難を受けた場合もあるが、軍人としてはやはり立派な最後だった言うべきだろう(※海軍の宇垣纏中将は玉音放送を聞いた後、部下を引き連れ米軍に対する特攻を実行した)。また私が私淑していた陸軍の高島実巳(たかしまさねみ)中将も、為すべきことを終えた後、初志を貫いて見事、本懐を遂げた」  矢口は深々と息を吐いた。 「彼らとわが身を比べるとなおのこと……死機を逸したことが、今なお悔やまれてならないのだ」

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