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第8章⑭

 ……帰路の列車の中で、クリアウォーターは矢口から聞かされたことを思い返していた。  牧師であった父の仕事の関係で、クリアウォーターは日本で生まれた。幼少期を東京で過ごしたゆえに、日本語に堪能なだけでなく、日本人の習慣や考え方になじみがある。それでも、両親から受けたキリスト教精神に則った教育の結果か、それとも生まれ持った気質ゆえか――日本人に広くみられるある思想だけは、どうしても受け入れられなかった。  それは死をもって、何かを成し遂げることを尊いとする考え方だ。  高邁な死を得ることを名誉とする――これは別に、将官のような高級軍人に限った話ではない。もっと下級の兵士、さらに一般の民間人の間でさえ、戦争の末期に米英軍の捕虜となることを極めつけの「恥」とみなしていた。そうなるくらいなら、自決すべきだという考えが――少なくとも建前上は――存在していた。    「生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けず」とは、日本の将兵たちに向けて示された「戦陣訓」の中でも、とりわけ有名な一節だ。もっとも、戦陣訓の作成に関与したとされる軍人のほとんどは――その示達を行った当時の陸軍大臣東條(とうじょう)英機(ひでき)も含めて、今もなお存命している。さらに、その内の何人かは連合軍によって戦犯指定を受け、巣鴨プリズンに収監されていた。  そう。部下や国民に自決を奨励した張本人たちは敵軍に敗れた後、粛々と「虜囚」の道を選んだのである。  結局のところ、極限状況で死ぬことをーーなかば強制的にーー選ばざるを得なかったのは最も弱い立場の人間たちだった。  1944年、マリアナ諸島のサイパン島が陥落した時、ここに推定約二万人の日本人の民間人が残留していたが、その内の半数近くが戦闘に巻き込まれたり、あるいは自決の道を選んで犠牲となった。  また、敗戦とともに満洲から命からがら引き揚げてきた日本人たち、特に女性がよく青酸カリを所持していたことが知られている。それらは、会社や開拓団の責任者などから自決用にと渡されたものだった。侵攻してくるソ連兵や、在地の中国人などに凌辱されるくらいなら、これを飲んで自殺せよ、と言われたそうである。あるいは自ら死を覚悟して、何としても入手しようとした女性も少なくなかった。青酸カリのほかに、手りゅう弾が渡されたケースもあったという。それらを使って、集団で、あるいは家族単位で、死を選んだ目撃証言は枚挙にいとまがない。最終的に、いったい犠牲者がどれほどの数に上るか、今をもっても見当もつかなかった。  …クリアウォーターは背後に流れていく景色を眺め、息をついた。  日本は戦争に敗れ、戦前の軍国主義は全面的に否定された。それでも犠牲的な死をことさらに賛美し、それを他者に――特に弱い立場の人間に強いる、この醜悪な構図を改め、過去のものとできるかどうかは分からない。  それは、戦争を生き延び、あるいは戦後に生まれ、これからを生きていく者たちの肩にかかっていた。 「ーー先ほどから、ペンが進んでいませんね。何を考えているんです?」  対面の座席に座るアイダの声に、クリアウォーターは目を車内にもどした。長い旅なので、その移動時間を利用して、矢口馨に対して行った尋問の内容をまとめている最中だった。アイダの顔を見るに、ずいぶんと長い間、考え事にふけっていたらしい。 「矢口が最後に、君相手に話していたことを思い返していたんだ」  クリアウォーターがなにげなく言うと、アイダはふいに真顔になって、 「あの男の話は、ただの自己弁護ですよ」とつぶやいた。 「本当に死ぬ気があるのなら、今からだって遅くない。方法はいくらでもあるでしょう。軍刀でも、ピストルでも。あるいは丈夫な縄一本と頑丈な梁さえあれば、簡単に首をくくれる。違います?」 「容赦がないね」 「あなたは、矢口が死にそびれたことを本当に悔やんでいると、お考えで?」 「そうだね……少なくとも、死ななかったことを喜んでいて、体面上、それを隠しているというようには、見えなかった。『生き恥をさらしている』というのは、彼の本心だと思うよ」  クリアウォーターは物柔らかに微笑する。 「君こそ、どうしたんだい。珍しく感情的になっているように見える。よかったら、理由を聞かせてくれるかい?」

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