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第9章① 一九四四年十一月

 ……すでに夏の頃より、東京の街は寂寞の様相を深めつつあった。  予想される空襲にそなえ、都内の各所では疎開が進められた。学期を終えた小学校の学童たちは、夏休みの間に自分が寝起きするための布団を用意すると、親元を離れて福島、群馬、栃木の農村地帯へと順次、集団疎開していった。  さらに火災発生時の延焼を防ぐために取り壊しが決まった地区において、住民は半ば強制的に退去させられた。住む人間がいなくなった家々は、勤労動員された医学校の学生などによって打ち壊され、次々と更地となっていく。秋の風が吹くころ、上空から見るとまるで櫛の歯が欠けたように街のあちこちに空き地が点在するようになった。それと並行する形で、民家の庭や玄関横ではツルハシやスコップが振るわれ、避難目的の防空壕が設けられた。  それでも、実際に帝都上空にB29が姿を現すまでは、疎開も防空壕掘りもまだゆっくりとしたものだった。しかし、十一月に入ると都民は連日の空襲警報と、空のかなたに白い飛行機雲の軌跡を残して去って行く米軍の爆撃機、さらに威勢だけはいい高射砲に翻弄され、みるみる不安の色を強めていった。 ――今は偵察ですんでいるが。次こそいよいよ、本格的な空襲にさらされるのではないか。  郊外へ向かう列車は、大きな荷物を持ち子どもを連れた乗客が目に見えて増え、逆に夜の街からは明かりと人通りが消えた。家の中ですら、外に明かりが漏れると爆撃の標的になるというので、日が落ちると厳重な遮光対策をしなければならなくなった。  さて赤坂(あかさか)の花街に、一軒の老舗の料亭がある。ひと昔前までは夜ごと灯篭(とうろう)が吊るされ、中からは芸者の歌声や男たちの笑い声が絶えなかった人気の店だ。だが、その華やかさも今は見る影もなく、廃業したかと錯覚するほど静まりかえっている。実際には、食糧事情が悪化の一途をたどる現在でも、八方手を尽くして細々と営業を続けていた。  都合三度目となるB29の来襲があった翌日の夜も、料亭の一室には数人の男たちが集っていた。その大半は表情が暗い。ただ一人、この場で唯一、軍服を着ている男だけが興奮した面持ちで、熱っぽい弁論を振るっていた。 「ーーなるほど。都民たちは失望しているだろう。たった一機でやって来る敵機に、帝国陸軍の航空機が手も足も出ない。高射砲を何百発撃ってもかすりやしない。それどころか、落ちてきた砲弾の破片でかえって死傷者が出るありさまだ。このまま手をこまねいていれば、沖縄の那覇のようになすすべもなく、帝都は灰燼と化すのではないか。あるいは(おそ)れ多くも宮城に焼夷弾が落ち、ご聖体を損ねることがあれば、それこそ取り返しがつかない……」  男の声に耳を傾けているのは、いずれも大手新聞社の記者たちだ。  昨今、紙の調達も困難になった。新聞は朝刊のみで、しかもページは二ページに限られている。そこに掲載される記事は、十重(とえ)二十重(はたえ)の検閲と規制のふるいにかけられており、政府を批判することはもとより、独自の取材に基づいて掲載することもほとんどなくなっていた。一面を飾るのは大本営の陸軍報道部、海軍報道部が出す「大本営発表」であり、厳粛ではあるが内容空疎な美辞麗句や相矛盾する記述が、そのまま掲載されることもしばしばだった。

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