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第9章④

 黒木を見失った金本は一度、「はなどり隊」のピストに戻るしかなかった。  ピストの引き戸を開けた途端、その場にいた搭乗員たちの視線がいっせいに、戻ってきた曹長の方へ向けられた。十対の目から放たれた視線が、痛いほどだ。何も言わずに済ませられそうにない。そう思っていると、 「どうだった?」  さっそく副隊長の今村が聞いてきた。金本は答えた。 「…調査は戦隊長どのが命じられたことで間違いなかった。詳しいことは聞けなかったが。特別攻撃隊に誰を選ぶか、決める権限は自分にはないと大尉どのは言っていた」  金本はなけなしの意志をふるい立たせ、口を動かし続ける。 「それから、誰を差し出す気もない、とも。俺が思うに、黒木大尉どのは航空機による体当たりそのものに反対している」  調布飛行場に来て三ヶ月。黒木を間近で見てきた金本は、戦闘に対する黒木の考え方をある程度、つかんでいるつもりだった。  ……たとえ黒木の言動の他の面に関しては、理解が微塵も追いついていないにせよ。 「あの人の訓練は尋常じゃなく厳しい。(ののし)ったり、殴ったりするのも、時々やりすぎと思うこともなくはないーー」  そう述べた時、金本の視界の中で、賛同の表情を浮かべた者は一人、二人ではなかった。  米田(よねだ)などに至っては、隣の(あずま)に「そうだよな!」と小声でささやいて、相手ににらまれた。  その光景を視界の隅にとどめながら、金本は一同に言った。 「でも、厳しいのにはちゃんとした理由があった。限界まで追い込んで、無理にでも技量を上げない限り――米軍機相手には生き残れないと、分かっていたんだ」  それは前線で戦い続け、今なお生存してきた金本が言うからこそ、重みのある言葉だった。 「黒木大尉どのはここにいる全員を可能な限り死なせないために、厳しい訓練を行ってきた。だからこそ――死ぬことが前提の体当たり攻撃を、どうしても受け入れられないんだと思う」  金本が語り終えた後、ピストの中はしんと水を打ったように静まり返った。  重い沈黙を破ったのは、工藤だった。 「……それでも。戦隊全体で四人の志願者が必要とされている。この隊からも、一人か二人は行かなければならないんだろう?」  それを聞いて、金本は目を伏せた。 ――お前が選ばれることはない。  黒木からぶつけられた事実は、金本の心の中で時間が経つほどに重しになってきた。  何が嫌かと言えば――特攻に選ばれずに済むと知って、どこかでほっとした自分がいることだ。  生きることに執着していない――そう思っていたが、どうやら自分自身で考えている以上に死ぬ覚悟を固めるのは、難しいようだった。 「……ひょっとしたら。ほかの隊から、複数の志願者が出るかもしれない」  今村の声で金本は顔を上げる。  はなどり隊の副隊長は、決然とした表情で言った。 「俺はもう一度、『希望せず』で出すぞ。黒木大尉どのの本心を知ったこともあるが。たった一度きりの体当たりで死ぬより、生きて可能な限り出撃してB29と戦う方が米軍に損害を与えられる。そう信じているからだ。みんなも、もう一度よく考えた上で、用紙を提出してほしい」  それは今村が今まで言った中で、一番副隊長らしいまっとうな台詞だと、金本は思った。

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