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第9章⑤

 その夜は消灯時間を過ぎたあとも、ひそひそとささやく声が遅くまで続いた。金本も寝つけなかった。飛散防止のために紙が貼られたガラス窓を見つめながら、思考はおなじところをぐるぐると回り続ける。 ーーみな、どうするのだろう。そして、黒木は?  金本自身の用紙はすでに封筒に入れて封も済ませた。中身は前回と同じだ。対艦・対空特攻どちらにも「熱望」に丸をつけた。選ばれないと黒木に告げられた身で、この行いをすることに欺瞞(ぎまん)を覚えないわけではない。それでも、戦隊長が気を変える可能性はまだ残されている。とりわけ、ほかの者が前回と同様に「希望せず」を出すのであればーー。  黒木がやっとピストに戻ってきたのは、夜もずいぶん更けた頃だった。  戸を引くガタガタという音は起きていた者に聞こえたはずだ。だが金本も含め、全員、見事なタヌキ寝入りを演じた。知ってか知らずか、黒木は土間で数秒立ち止まっただけで、そのまま一直線に自分の寝床へ向かい、毛布を頭からかぶった。  ささやき声も途絶えたピストの中で、金本はいつしか眠りに落ちた。  そして朝をむかえた。  次の日、昼間は何事もなく過ぎた。これまで、B29はいずれも午前中から午後一時頃にかけて姿を現した。天気が快晴ということもあって、金本たちはきっとまた空襲警報が鳴ることを予想していた。  しかし今日に限って米軍の爆撃機はやって来ず、肩透かしを食う結果となった。  午後四時を回る頃、「はなどり隊」の搭乗員たちの関心は再び、B29のことから今朝回収された特別攻撃隊の志願用紙の方へ向かっていた。ピストのスピーカーが突然、キンと耳障りな音を上げたのは、まさにそんな時だった。 「――搭乗員に告ぐ。全員、ただちに戦隊本部前へ集合せよ」  一昨日の朝と、同じことが繰り返された。金本たちは駆け足で、迷彩の施された戦隊本部の建物へ急いで向かう。整列して待つまでもなく、搭乗員たちの前に戦隊長が姿を現した。その手には紙の束が握られ、いかめしい顔には怒りと軽蔑の念がにじんでいた。 「――諸君らには、はなはだ失望した」  開口一番に戦隊長は言い放った。 「帝国陸軍兵士として、それも()えある航空隊の飛行兵がこれほど命を惜しむ臆病者ばかりだとうは思いもしなかった。恥を知れ!!」  言うや、戦隊長はにぎりしめていた紙の束を地面に叩きつけた。搭乗員たちから回収された志願を問う用紙が、バラバラと紙吹雪のように広がった。  金本は視力がいい。列の端の方にいたが、知っている何人かの名前を紙の上に見つけ、さらに彼らが一様に「希望せず」に丸をつけているのを見出した。そして、周りの搭乗員たちの顔から、みるみる血の気が引いていくのもーー。  戦隊長は荒げた息を整えると、ポケットから一枚の用紙を取り出した。それを目にした途端、金本は目をみはった。  子どものような字で「黒木栄也」と記名された用紙には、対艦・対空特攻ともに「希望」に丸がつけられていた。 「『はなどり隊』! 貴様らの隊長は自ら進んで命を投げ出そうとしている。それを知ってなお、志願をためらう者はよもやいないだろうな」  金本の視線の先で、黒木が青ざめる。さすがの彼も、まさかこんな形で自分が利用されることになるとは思っていなかったようだ。  戦隊長は、集まった一同をにらみわたした。 「……もう一度、諸君らに問う!」  どこか演技がかったその仕草からは、「志願者」をそろえるための必死さが感じられた。 「この期に及んでまだ命を惜しむものはいるか? いるならば即刻、この場を立ち去るがいい!!」  誰もが石像と化してしまったかのように、微動だにしない。このような聞き方をされて、動ける者などいなかった。二十を数えるほどの沈黙の後、戦隊長はようやく告げた。 「――よろしい。今をもって、本戦隊の搭乗員は全員、特別攻撃隊に『希望』したものとみなす。これより、戦隊本部で選出を行う。結果についてはおって知らせるゆえ、各自、自隊のピストで待機するように」

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