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第9章⑪

「――そんな深刻な顔をしないでくれよ、ヴィー」  薄いそばかすの残る顔で、フレデリックはグラハムに笑いかける。 「大丈夫だって。のろまな艦船とは違う。こっちは時速四百キロ以上で飛んでるんだ。ジャップの戦闘機が体当たりしようと思っても、滅多なことじゃかすりもしないさ。それでも近づいてくるやつがいたら、俺が機銃で撃ち落としてやるさ」  子どもの頃と変わらない。フレデリックは底抜けの明るさと自信を込めて断言した。いとこのその悲観主義と無縁の性格を、グラハムは昔から長所と思っていた。しかし、今だけは違った。空中を高速で飛び交う戦闘機に、機銃の弾丸を命中させる難しさをグラハムは誰よりも知っている。 「…油断はするなよ」  そんなアドバイスにもならないことをグラハムは口にする。フレデリックは「はいはい」と軽く応じた。 「そういやさ、あの『オカマ』とは縁切れたの?」  フレデリックが何を言っているのか理解するまで、グラハムには数秒必要だった。 「…お前が言っているのは、P-61のパイロット、エイモス・ウィンズロウ大尉のことか?」 「そんな名前だったっけ。とにかく、そいつやばいよ。違う部隊の俺のところにまで、(うわさ)がごまんと届いてるんだぜ」  『噂』の内容がどのようなものか、グラハムは聞き返さなかった。  夜間戦闘隊に所属するエイモス・ウィンズロウ大尉の名は、フィリピン及びマリアナ方面に派遣されている航空隊の者なら、誰しも一度は耳にしたことがあった。二つの点で、彼は有名人だった。  まず極めて優秀な――それも昼夜を問わない――パイロットであること。  そして、同性愛者であることだ。  遺憾なことにグラハムの耳には、前者にまつわる武勇伝より、後者に属す醜聞の方が圧倒的に入ってきていた。 「本当さぁ。なんで航空隊があのオカマを追い出さないのか、不思議でならないよ」  露骨に顔をしかめるフレデリックに、グラハムは真実を告げてやった。 「彼がアメリカ軍にとって、必要な人間だからだよ」  ウィンズロウの言動が問題視されたことは、一度や二度ではないはずだ。なにせ複数の同性と関係を結び、それを隠そうともしないのだ。おまけに――こちらは腕ききで自負心も強いパイロットに、まま見られる傾向だが――彼はおよそ「お偉方」という存在に対して敬意を示さない。表面上、礼儀は守っていても、何か気に食わなければ、のらりくらりと遠回しに反抗する態度を取るのが常である。  航空隊の人間にとっては、まことに存在自体が苦々しい男なのだが――こと操縦の腕に関しては群を抜いている。余人では到底、達成困難と思われる任務があれば、上は秘密裡にウィンズロウのところに持っていくと、裏でささやかれていた。 「ウィンズロウ大尉は色々、誤解されているが。頭はいいし、話せば面白い男だよ」  グラハムが言うと、フレデリックはますます顔をしかめた。年少のいとこはグラハムがウィンズロウと交流していること自体が嫌なのだ。交流といっても別にたいしたことはない。顔を合わせた時に酒を飲んで語り合い、たまに手紙のやり取りをすることの一体何が問題なのか。   グラハムは異性愛者で、おまけに結婚して子どももいる。どう考えても、妙な具合になることはありえなかった。  しぶい顔のいとこを前に、グラハムは話題を変えた。 「フレッド。お前の仲間の搭乗員とも少し話をしたいんだが、紹介してくれるか?」 「もちろん。でも話って?」 「東京を爆撃した時の日本軍の反応を、もう少し詳しく知っておきたい。このまま、我が軍が太平洋を北上していけば、いずれ日本本土の航空隊と戦う機会が必ずやって来る。日本の航空隊の練度は、年を追うごとに低下の一途をたどっているというのが大方の見方だが――熟練のパイロットをあえて温存している可能性もある。来たるべき戦闘に備えてできるかぎり情報は集めておきたい」 「わ、さすが。飛行隊の指揮官ともなると色々、考えるんだね」 「茶化すな」 「いや、ほめてるんだって。ちょうどよかった。みんな、ヴィーと話したくてうずうずしてるみたいだから」  そう言って、フレデリックはグラハムを仲間のもとへ導いた。前を歩くいとこの背中を、グラハムは少し感慨をこめて眺めた。  広い肩はすっかり大人の男になったことを実感させるに、十分なたくましさだった。

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