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第9章⑰

 黒木が去った後、その場に金本と中山が二人残された。その時になって、金本は自分の機付き整備班長をつとめる台湾人の青年が、どうにも落ち込んでいることに気づいた。 「どうした?」  珍しく、金本は自分の方から尋ねた。 「元気がないな。難しい改修になりそうなのか?」 「いいえ。作業自体は、特に大きな問題はないと思います。でも……」  中山は一瞬、言いよどむ。しかし、すぐに(せき)を切ったようにまくしたてた。 「機体を軽くするために何を外すか、曹長は聞いていますか? 被弾した時に搭乗員の身体を守るために座席に取り付けられた鋼板や、燃料タンクの炎上を防ぐための防護ゴム――どれも搭乗員の生命を守るのに必要なものです。それを外すなんて……当たり所が悪ければ、一発でお陀仏(だぶつ)ですよ」 「…『お陀仏』なんて難しい言葉、よく使いこなせるな」  中山と同じく日本語が母語でない金本は、妙なところに感心した。それから肩をすくめる。 「今までだって一発で死ぬ時は死んでいた。風防を撃ち抜かれて、弾が頭や胸や太ももに当たれば、たいがいその時点で終わりだ」  今さら言うまでもないと、金本は中山を見下ろして淡々と言う。 「俺たち搭乗員は常に、死の一、二歩手前で生きている」 「……死ぬのが怖くないと言うんですか?」  責めるような中山の口調に、金本ははからずも苦笑する。童顔の整備班長は、最近とみに金本に対して遠慮がなくなっている。  その気安さは、思いのほか悪くないものだった。 「死ぬのが怖いかどうかは、俺自身も分からない」  金本は改めて振り返る。  特攻を「熱望」しながら、選ばれなかったことに、自分はほっとした。  それは結局、死ぬのが怖いということではないだろうか。 「多分、いざ死ぬ時にならないと、本当のところは分からないんだと思う」  その最期の瞬間は、きっと空の上で迎えるのだろう。あるいは、墜落して大地にたたきつけられるか。どちらにせよ、それ以外にはあるまい。  この手も、腕も、身体はすべて燃え上がり、骨すら砕けて塵となる。  きっと、そういう死に方をするのだと、金本はずいぶん前に考えをかためていた。 「……俺は、怖いですし嫌です」  中山の言葉に金本は驚かなかった。それがまともな人間の感覚だろう。そう思っていると、思わぬ続きがあった。 「金本曹長が戻ってくると、信じています。でも、もし帰って来なかったらと思うと、怖いし嫌です」 「……そうなのか」 「そうです。ここだけの話ーー金本曹長が戦果を上げるかどうかより、無事に戻ってきてくれることの方が、俺にとってはずっと大事なことです」  中山の顔は真剣そのものだ。その気持ちのいくらかは、金本にも伝わった。  整備員は多かれ少なかれ、自分の整備する機体と搭乗員の無事を祈るものだ。それはごくごく普遍的な感情だ。たとえ、周りがいくら壮烈な戦死を(たっと)んで(たた)えようとも、整備員たちのその心を、完全に消し去ることはできまい。  金本は思う。一方では、航空機や搭乗員を、戦果を上げるための消耗品として扱う者がいる。その対極に、中山や千葉たちのように心血を注ぎ、親が子に対するような愛情を持つ整備員たちがいる。両者のこの差は一体、どこから来るのだろうか。  …金本は自分の乗機を見上げる。中山がいつも、全力で整備してくれる機体だ。できることなら、彼の前に無事な姿で戻してやりたい。そして、金本自身もなるべく無事な姿を見せて安心させてやりたいと思う。  だが、それを約束できるほど、戦いは甘くはなかった。  だから、金本は中山に、ただこう言った。 「――さあ。黒木大尉どのが言ったように、改修をはじめてくれ」

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