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第9章⑱
……それから半月の間に、夜間も含めB29は三度帝都を空襲した。
中島飛行機武蔵工場が主な目標であったらしい。金本たちがいる調布飛行場からは、それこそ目と鼻の先だ。しかし、いずれの時も、「はなどり隊」がはかばかしい戦果を上げることはできなかった。一方でその間に、別の飛行場に所属する特別攻撃隊の内の一機が、体当たりによってB29を撃墜した。体当たりしたのは二式戦「鍾馗 」で、様々な状況からB29もろとも海中に没したことが確実視された。ほかにも、四機のB29が撃墜されたと発表があったが、こちらは情報が錯綜していて、実際に墜ちたかどうかは分からなかった。
そして三度の空襲の結果、中島飛行機武蔵工場及びその周辺、また帝都各所で、すでに千人近くの市民が犠牲となっていた。負傷者はそれ以上の数にのぼり、さらに数千の家屋が焼失したのである……。
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……金本は松岡 を従え、黒煙を上げるB29に迫る。逃走するB29からは、ひっきりなしに機銃の弾が飛んでくる。距離はあれども、弾数が弾数だ。悠長に構えている内に、こちらの機体に穴を開けられてしまいそうだ。
「――松岡。お前は敵機の右翼側を飛べ。ただし十分に距離を取ったまま近づくな。そのまま前へ抜けろ」
「了解…!」
――機会は一度きりだ。
金本はスロットルを前へ倒し、エンジンの出力を上げた。速度を上げ、そのままB29の左後方から距離をつめる。のぞきこむ照準器の中では、曳光弾 が無数に瞬いている。それを見る金本に、恐怖はない。死ぬのが怖くないのかと、中山に聞かれたが、少なくとも死地に身を置くことに、もう恐怖は覚えなかった。
人並外れた視力で金本は見て取る。B29の機銃の内、今、金本の飛燕の方を向いているのは尾部のものだけだ。胴体上部の四丁は、右翼側を飛ぶ松岡へ向いている。
五感はすべて正常に動いている。思い通りの動きができると、金本は確信する。
次の瞬間、金本はスロットルを全開にして、機体を横転させた。加速したジュラルミンの燕は勢いをかって、B29の尾部の機銃の射程範囲外へと飛び出す。
その先にあったのは、機銃の死角となった無防備な胴体だった。
金本は二十ミリ機関砲のスイッチを押した。放たれた弾が、照準器からはみ出るほどに広がる胴体へ、吸い込まれるように着弾する。そのままB29の左翼をかすめて、金本の飛燕は機体上部へと抜ける。
座席から身体が浮かぶ。天地がさかさまになる。背面位となった飛燕の操縦席から、金本は黒煙を吐き続ける巨鯨を見下ろした。四丁の機銃はまだあさっての方向を向いたままだ。胴体の左側から何かがキラキラと落ちていく。右側からも。着弾した二十ミリ弾が、貫通し反対側にも穴を開けたのだ。
その時、金本は胴体上部に出っぱった半球状のガラスと、その中で動く人影に気づいた。アメリカ兵だ。酸素マスクをつけているせいで顔の上半分しか見えない。それにもかかわらず、金本は相手の顔がゆがむのを、はっきり認めた。
彼はマスクの下で叫んでいた。
弾を吐きながら、胴体上部の四丁の機銃が回頭する。だが金本の飛燕はすでにその時、螺旋を描く軌道でB29の右翼側へ抜けていた。まさにコンマ数秒の差だった。B29の十二.七ミリ機銃の弾は、憎き燕を撃ち落としそこなった。
そして、すれ違いざまに飛燕から放たれた二十ミリ機関砲の弾が、傷ついたB29の右翼にとどめを刺した。
離脱する飛燕の背後で、B29――フレデリック・グラハムほか十一名の搭乗員を乗せた『骸骨神父 』号は、大きくバランスをくずした。金本が振り返った時、空飛ぶ巨鯨は悲鳴を上げながら最後の潮を噴き上げるところだった。右の翼が折れ、断面からガソリンが生物の血のように糸を引く。そのまま斜めに傾いだかと思うと、見えない手で引き裂かれるように、胴体の半ばから真っ二つに折れた。
回転し空中分解しながら、銀色の巨鯨は大地を目指して落ちていった。
「………」
その最期を金本が見届けることはなかった。素早く、周囲に目を走らせる。
漂う煙をすかして前方に仲間の「飛燕」が見えた。無線で呼びかけると、すぐに松岡が応答する。無事だった。金本が安心したのも束の間、すぐに別の声が割って入ってきた。
「こちら、はなどり、林原 。損傷した『かもくじら 』を追跡中。弾切れで、落とせません。現在、高度五〇。当機の速度は時速四五〇キロ。くじらは東、銚子方面へ逃走中……」
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