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第9章㉑
金本は首に巻いた防寒マフラーを外した。寒いが、出血をおさえる方が先決だ。両ひざで操縦桿をはさみ、手袋を素早く外すと痛む左足のひざのすぐ下を固く縛った。
不格好な止血をすませ、ようやく顔を上げた金本は、そこでこちらに近づいてくる機影に気づいた。飛燕だ。尾翼の塗装から、誰の乗機かすぐに分かった。
黒木だった。無線が通じなくなった金本の様子を、わざわざ確認に来てくれたらしい。
そのまま黒木は高度を合わせ、金本に寄り添うように機体を寄せてきた。見たところ、黒木本人も飛燕にも大きな傷はなさそうで、金本はひとまず安堵した。
近づいてきた黒木はまず金本を、それから自分の首元を指さした。マフラーをどうしたのか、と聞いているらしい。金本は手を振って、「何でもない」と伝える。ゴーグルの下から黒木がにらんだように見えたが、それ以上、金本を問いつめることなく、手信号で「ついてこい」と伝えてきた。金本はおとなしく、それに従った。
……金本からの無線が途絶えた数分、黒木は心底ぞっとした。
やられるはずがない。そう自分に言い聞かせ、かろうじて冷静さを保った。今村たちを先に調布へ帰らせ、金本を探しに行き、見つけた時には安堵と怒りがわいた。俺を心配させるな、と思った。
近づいて、黒木は再び不安にかられた。金本の飛燕は、ひどいありさまだった。B29が炎上した時に飛び散ったのだろう。油や煤で機体は醜く汚れ、また命中した機銃の弾痕が胴部に斜めに走っている。おまけに乗っている当人を見ると 首にいつも巻いているはずのマフラーがない。それもまた、黒木の心をざわつかせた。
とにかく急いで戻ったほうがいい。金本に文句を言うのはそのあとだ。
黒木は金本を先導して、帰投すべく西へ飛んだ。
行く手の空が、霞んでいる。黒木は、すでに理由を知っている。それでも、自分の目で見た時に、衝撃が薄れることはなかった。
帝都が燃えていた。特に黒木たち「はなどり隊」の本拠がある調布飛行場に近づくにつれ、その惨状はいっそう明らかになった。
三本の鉄道――武蔵野鉄道、西武村山線、中央本線が並行する練馬、石神井、西荻窪、吉祥寺のあたりから、しきりに煙が上がっている。中島飛行機武蔵工場の敷地の上までくると、黒煙とガソリンの鼻をつく臭いが、黒木と金本がいる高度にまで漂っていた。
「………」
黒木はゴーグルの下で、まなじりをきつくつり上げる。
胸に抑えきれない感情がこみ上げてきた。敵に対する怒りや憎しみとは違う。
それは悔しさ、あるいはむなしさに近かった。
金本も、そしてはなどり隊の他の者たちも、命がけで戦った。だが、それが一体、何だったというのか。
結局のところ、今回もまた大勢の人間が傷つき、死んでいくのを防げなかった。
何度目だろうか。自分たちの無力さを、黒木はいやと言うほど思い知らされた。
――……それでも、戦果はあった。
体当たりに頼らずともB29を撃墜できた。
その事実に、黒木はせめて救いを見出そうとした。
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