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第9章㉔

 ……黒木の気配が消えて五分。さらに十分。――目をあけた金本は、ゆっくり顔の向きを変えた。子どもが暗闇に物音を聞きつけ、お化けじゃないかとおびえながら確かめる、そんな動きに似ていた。  もちろん、お化け――もとより黒木はいない。どうにも金本のたぬき寝入りに、本当に気づかなかったようだ。それだけ疲労して、注意力がなくなっていたのだろう。  金本は病室の暗がりを、気の抜けたように見つめる。  黒木は重い事実を告げていた。米田が死んだ。「はなどり隊」に、はじめて戦死者が出たのだ。ほかの隊員たちの士気や今後の戦いに、少なからず影響を与えるのは間違いない。また、明日行われるという米田の葬式に出たかったが、はたして医者から許可がでるかどうか……。  金本はあれこれ考え、黒木の口にした言葉の一部を努めて頭からしめだそうとした。だが、どうやってもできなかった。レコードを回すように、鼓膜の中で黒木の声が繰り返される。 ――特別だ。好きだ。死ぬな。  触れようと思えば、触れられた。黒木の冷えた身体を力まかせに寝床に引きずり込んで、俺もお前が好きだと、言うことだってできた。けれども結局ーー黒木の告白にも、自分の気持ちにも向き合うことなく、寝たふりをして逃げた。 「……ああ、くそ」  金本は口の中でののしった。  認めたら最後だ。逃げられない。ただでさえ、自分たちを取りまく状況は厳しさを増す一方なのだ。色恋にかまけている余地などない……。 ――きっと俺は耐えられない。  金本はようやく気づいた。黒木は、金本や周りが思っていたよりずっと、(もろ)い男なのかもしれない。孤独や弱さや脆さを、強気で傍若無人な振る舞いで取り繕って、気取られぬようにしている。そうやって、かろうじて自分を保っているのではないか――。  金本は一日でも早く、この陰気な病室を出なければと思った。  黒木の想いに、こたえることはできない。  それでもーーせめてそばにいて、命が尽きるまで支えてやりたいと思った。

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