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第9章㉖

 グラハムはウィンズロウをさそい、今出てきたばかりの食堂のテラスに連れて行った。風の通りが悪い屋内より、陰のある屋外のテラスの方がまだ涼しかった。  空いていた椅子に腰をおろし、グラハムはぽつりぽつりと語りだした。  ……グラハム少佐の従兄弟、フレデリック・グラハム軍曹が乗る『骸骨神父(スケルトン・ファーザー)』号を含む八十六機のB29が、サイパン島から飛び立ったのは二週間ほど前のことだ。その内、七十機が東京上空に到達したものの、そこで日本の戦闘機による迎撃、さらに高射砲での攻撃を受け、結果的にこれまでで最も多い五機の未帰還機を出した。  フレデリックが乗っていた『骸骨神父』号も、その中に含まれていたのである……。 「――フレデリックは、日本の反撃はたいしたことはないと言っていたが。その認識は正しいと言えなかったようだ」  グラハムが言い終えると、それまで聞き役に徹していたウィンズロウがおもむろに口を開いた。 「…ワタシの方は、こんな噂を聞いたわ。B29の日本爆撃は、当初の思惑に反して思いのほかうまくいっていない。少なくとも、本土(ステイツ)の方では、十分な成果を上げられていないと評価しているらしいわ」  どこまでも青い海原に目を細め、麦わら色の髪の大尉は言った。 「――それでね。高高度からの精密爆撃ではなく、もっと低い高度を飛んで、命中率を上げるべきだって話が出ているそうよ」 「バカな…」  グラハムはうなった。 「そんなことをすれば、今まで以上に戦闘機や高射砲の餌食(えじき)になるのは目に見えている。いたずらに犠牲者を増やすだけだ」 「お偉いさんたちは、犠牲覚悟の上なんでしょう」  ウィンズロウが朗らかに言う。ハスキーな声は、冷ややかさを含んでいる。 「何ヶ月か戦争を早く終わらせるためなら。空を飛ぶ若者が何百人か多めに死んだとしても、批判ではなく称賛を受けるでしょうね。戦争継続に必要な、何千万ドルもの費用が浮いたって理由でね。悲しむのは遺族だけよ。それも、避けようと思えば避けられた死だと、知ることなくね」  二人の間に沈黙が下りる。食堂の方からは、蓄音機が立てるフランク・シナトラの歌声が聞こえる。空はまだ明るい。だが、ここは赤道直下の南国で今は雨季だ。夕方までの間に、またひと雨ありそうだった。  思いつめた顔で空を見つめていたグラハムが、その時、ウィンズロウの思いもよらぬことを言った。 「ウィンズロウ大尉。今晩、時間はあるか?」 「あら。あなたのためなら、真夜中だろうとつきあうけど」  聞く人間によっては、言外に含まれた性的なニュアンスに気づいて、嫌悪をあらわにしただろう。だが、グラハムはまったく気づいた様子もなく、「ありがたい」と言っただけだ。  その反応に、ウィンズロウは内心苦笑する。残念ながら、過去にこの手のほのめかしをいく度かしてきたものの、本人に伝わったためしがない。  異性愛者ということを差し引いても、グラハムは相当に魅力的な男なのだが。黒に近い少し金属質の光沢を帯びた髪。同色の目。肩幅がやや狭いが、おしりのラインはそれを補ってあまりある。何より、ウィンズロウと張り合える腕前のパイロットであり、彼を対等の人間として扱ってくれる。そういう人物は、航空軍内に何人もいなかった。  最近ではその鈍感さにもいい加減慣れたし、恋愛の絡まない友人づきあいも悪くないとウィンズロウは思い始めていた。 「……それで、ワタシに何をしてほしいの?」 

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