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第10章④
――九州南部某所。
戦前K会に所属し、今は「尽忠報国隊」を主導する田宮正一 にとって、GHQとは日本という国を徹底的に骨抜きにして、未来永劫、世界の三流国の地位に押し込めようとする白人帝国主義者の集まりに他ならなかった。
「今のうちに鬼畜米英をどうにかしない限り、日本に未来はない」
田宮は同志たちの前で、何度も語った。
「そのためには天皇陛下をなんとしてもお救いし、断固としてお立ちいただかなくてはならん」
田宮正一はこの土地で代々続く大地主の長男として生を受けた。物心ついて以来、四十の半ばを過ぎるまで、彼の周りは隅々まであるべき秩序を守っていた。家の者や親類、さらに小作人たちは、田宮の姿を見れば腰を低くして無条件で頭を下げた。そして田宮自身は天皇の忠実な臣民として、片田舎の無知蒙昧 な人間たちを導く務めを、粛々と果たしてきた。
それが一九四五年の八月を境に、すべて崩れ去ってしまった。
田宮にとって、GHQが行う政策すべてが許しがたい悪行だった。
栄光ある帝国陸海軍は完膚なきまでに解体させられ、さらに新しく定めた憲法によって、日本は今後、陸海空軍のいかなる戦力も持たないことを強要させられた。
GHQはさらに、愚にもつかない女どもに参政権を与えて政治の場に足を踏み入れることを許した。女が天下国家を論じることなど笑止千万もいいところだ。日本を女々しい、欧米列強から物笑いの種にされるような国に作りかえようとする意図があってのことに違いないと、田宮は信じている。
そして何より「農地改革」などと称して、田宮から先祖伝来の土地をただ同然で奪い取り、それを小作人に安く売り渡した。おろかな小作人たちは田宮家から長年受けてきた恩をすっかり忘れて、GHQにひそかに感謝していると聞く……。
GHQに対する反感は田宮の中で呪詛の域に達し、「天皇誘拐」という暴挙を遂行せんとする原動力になっていた。
つまるところ、田宮の思考は短絡的で、視野は極端に狭かった。激変した世にあって、彼は敗戦以前の「古き良き時代」をことさらに理想化して、それにしがみつき生き続けようとする人間に過ぎなかった。
田宮は理解しようとしなかった。仰々しい帳 の向こうから姿を現した天皇は、もはや現人神 ではなく人間であり、GHQに逆らういかなる意志も示しえないことを。長年、地主から過酷な収奪を受けて来た小作人たちが、はじめて自分の土地を所有できる機会を与えてくれた者に好感を抱くのは、当然だということを。
そして彼が常に見下してきた女性が、唯々諾々と男に従うだけの存在ではないことを――。
「……来たる八月五日、陛下は宮城 をお発ちになり、東北へ行幸される」
この日、田宮の屋敷の奥まった一室には、田宮を含めて七人の男が集まっていた。その内、三人が田宮と同じような元地主で、残る三人が復員した元軍人だ。年齢はまちまちである。田宮は四十八歳とこの場で最も年長であるが、いちばん若い男はせいぜいその半分くらいにしか見えない。
「六月の豪雨の影響で、行幸の一部の日程はまだ未定だが、大半はすでに決まっている。陛下は最初に福島県、次に宮城県にお行きになる。そして七日夜から十日にかけて、岩手県内にあるK農場内の邸に御泊りになるご予定だ。この岩手の四日の間に、陛下をお連れあそばす……」
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