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第10章⑨

 (モー)後退(ホウドゥエイ)に情報提供を頼んだ後、クリアウォーターは別の資料群へ向かった。  小脇順右の遺族から吉沢刑事が押収した講演のパンフレットや草稿である。箱に無造作に突っ込まれた状態で届けられたものを、昨日、ササキとカトウが協力して、およそ時系列順に並べ替えてくれた。その整理のおかげでクリアウォーターは戦中の小脇の活動や彼の思想の軌跡を、よく復元することができた。  小脇が特攻――特別攻撃隊について大々的に取り上げたのは、昭和十九年(一九四四)十一月中旬に行った講演が最初らしい。題目は「皇国の反撃ののろし――特別攻撃の有効性を検証するーー」。日付は、小脇が第六航空軍に転属する二ヶ月前だ。  クリアウォーターが記憶する限り、日本軍が航空機を使って連合軍の艦船に対して体当たりを始めたのは、一九四四年十月である。小脇は早い段階で、特攻に特別の注意を向けていたようだ。同年十二月にある会議の場で特攻に反対する人間と衝突した、という瀬川(せがわ)倉吉(くらきち)の証言とも符合する。  昭和十九年十一月の講演以降、小脇の活動において特攻喧伝(けんでん)が占める割合は急速に増えていく。とりわけ第六航空軍にうつった後、昭和二十年二月から七月――沖縄戦の前後は、ほぼそれに費やされていた。  この時期には講演だけでなく、どこかへの寄稿も精力的に行っていたようだ。箱に入っていた何十枚という原稿用紙には、律儀に日付が欄外に付された。 「……若鷲、紺碧の空に散華す……」 「……米軍空母五、撃沈!……」 「……男児の意地。味方機を救い玉砕……」  目を通す内に、クリアウォーターはそれらの文章がどういう媒体に向けて書かれたものか、おぼろげながら見えてきた。赤毛の少佐は原稿用紙の束をつかむと、それを手に二階の翻訳業務室へ向かった。  ニイガタに断りを入れた上で、クリアウォーターはササキにある仕事を命じた。日本語の速読が得意なササキのことだ。おそらく退勤時間までに結果を伝えてくれるだろう。  自分の執務室にもどったクリアウォーターは、そのまま持参したサンドイッチと給湯室で淹れたコーヒーで、簡単に昼食を済ませた。そしてほどなく、自らジープを運転してGHQの本部が置かれた旧第一生命ビルへと向かった。  その道中で、クリアウォーターはもう一人の被害者、河内作治について考えをめぐらせた。   河内もまた小脇と同時期に第六航空軍に所属し、参謀長の矢口(やぐち)(かおる)のもとで働いていた。当該時期に、河内が沖縄の特攻作戦に関与していたことは、すでに矢口からの証言が得られている。しかし――。 「…もう少し、詳細を聞きだしておくべきだったな」  クリアウォーターは少し悔いていた。  矢口への尋問は、主に河内作治の人柄や第六航空軍内での人間関係、そして怨恨を持つ者についての質問が中心だった。なにぶん、小脇順右が一部の特攻兵から恨みを買っていたことが判明する前のことで、仕方がないといえば仕方がないのだが……。  河内が第六航空軍の特攻作戦にどのように関わっていたか、具体的に知るためには、矢口馨を再尋問する必要がある。とはいえ、なにぶん矢口の住む岩手は東京から遠い。彼を東京に出頭させる手もなくはないが、それを行うには少々、理由が薄弱だ。  対敵諜報部隊(CIC)に協力を要請して、岩手に駐留している要員に尋問を依頼するか。  いっそ、日本の警察を頼る手もある。どちらにせよ、それが実現するのは来週以降――参謀第二部(G2)のW将軍に調査の経過を報告し、その継続が認められたあとのことだ。  そこまで考えた時、ちょうど宮城の堀が見えてきた。

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