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第10章⑪
クリアウォーターは翌日、朝一番にササキから結果を聞くことができた。
「少佐の予想通りでしたよ」
U機関の一階にある資料室。戦中に発行された新聞を掲げ、ササキが浅黒い顔をほころばせニカッと笑った。
「どの原稿用紙についても、書かれた日付から二、三日以内に記事を見つけることができました。多少の改稿はありましたが、小脇順右が日本の新聞社に自分が書いたものを掲載させていたのは間違いないです」
「やはり、そうだったか」
ササキが指さす記事と、その元となった原稿用紙をクリアウォーターは見比べた。
これまでにも、小脇が大本営報道部の肩書を使って、民間の報道機関に少なからぬ影響力を持っていたことが指摘されていた。だが、両者の癒着はさらに根が深かったようだ。
軍人の手によって書かれたものを、記事として載せるーーここまでくると、もはやその新聞は軍のプロパガンダを載せる広報紙にひとしい。
小脇本人が積極的に動いていたことは間違いない。その一方で、当時の軍部が小脇の行為にまったく関与していなかったとは到底考えられない。
小脇順右という一少佐を通して、日本の世論を都合のいい方向へ操作しようとしていた――そう見るのが妥当だ。
ササキをねぎらった後、クリアウォーターは自分の執務室に戻る。すぐに電話機の受話器を上げ、佐野 敬 から伝えられていた電話番号にかけた。佐野は『やまと新聞』の記者であり、小脇順右と河内作治の殺人を最初に関連づけた人物である。
「――あなたさんの方から連絡くれるなんて、えらい珍しいことで。夏やけど、みぞれまじりの氷雨でも降りそうや」
あいさつのあと、佐野はゆったりした関西弁で皮肉を飛ばした。
「それで。例の事件の調査、なにか進展は?」
「ああ。中々、面白い事実が分かってきたよ」
「ほう……そこ、詳しく教えてくれはります?」
受話器の向こうで身をのり出す佐野の姿が容易に浮かび、クリアウォーターは口元に笑みをひらめかせた。食いついた。
クリアウォーターは佐野に向かって、被害者のひとりである小脇順右が戦争末期に行っていた行為について、かいつまんで説明した。
「――小脇から記事の提供を受けた新聞社は、複数存在していた。その中には君のところの『やまと新聞』も含まれていたよ」
「なんとまあ……」
佐野は呆れかえったようにつぶやく。
「…ぼくはその頃、報道部から外されてて、植字なんかをやってましたから。そないなことになっとったとは、知りませんでした」
今でこそ、佐野は取材の第一線の記者に復帰しているが。日本のアジア侵略に批判的な立場だったことで、戦中は記事を書くことができない状態に置かれていた。さらにその間に、何度か特高に拘束される経験もしていたはずだ。
クリアウォーターは言った。
「君に電話したのはほかでもない。小脇順右がなぜ、自分が書いた『記事もどき』をあちこちの新聞に載せるようになったのか、その経緯を調べてほしいんだ。特に、小脇の行為に当時の軍部がどこまで関与していたかが知りたい」
「うーん…なかなか、難義な話で」
佐野の声がしぶくなる。まあ当然だろう。
本来、新聞とは権力者の不正や悪行を告発し、批判すべき立場にある。その役割を果たせなかったばかりか、逆に権力者に牛耳られて、いいように扱われていたのだ。
クリアウォーターの頼みは、そんな身内の恥をさらして明らかにしろと言うに等しい。
ーー佐野としては、気持ちのいい話ではなかろう。
それを十分、承知の上でクリアウォーターはわざとらしくため息をついた。
「そうか。やっぱり難しいか。真実を容赦なくえぐる君のペンも、身内相手だと鈍らざるを得ないかあ…」
「……また、いけずなこと言って。ぼくをたきつけてます?」
「そんなことはないよ」
クリアウォーターは言った。いさぎよいくらいに、白々しい口調だった。
「…ほんに、食えんお人や」
佐野が苦笑した。
「ええでしょう。当時、うち の報道部におった人間は、たいてい今も残ってますから。そこから始めてみましょう」
ただ、と佐野は続ける。
「ぼく、八月のあたまらへんは、ちょい忙しいんです。みちのくに出張が決まっているんで」
みちのく――東北地方と聞いて、クリアウォーターはすぐにピンときた。
「天皇巡幸の取材かい?」
「ええ。お察しの通り。人間宣言されて以来、はじめての東北巡幸でしょう。各地でどんなふうに迎え入れられるか、その目で見てこい、ていう社長命令ですわ。そういうわけで、あと何日かで福島の方に行きます。その間に、なにが出てくるか分かりませんが、とりあえず出発前に一度はお電話しますんで」
「よろしく頼むよ」
そう言って、クリアウォーターは通話を終えた。
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