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第10章⑫

 日中、クリアウォーターは予定していた尋問を無事に終えた。夕方近くになって、アイダが運転するジープでU機関へ戻って来る。三階の自分の執務室で、さてコーヒーでも淹れるかと思った矢先、見はからったように卓上の電話が鳴り出した。  莫後退か。佐野敬か。それとも――……電話をかけてきたのは、予想した三人目の男だった。 「ハアイ。赤毛さん」  クリアウォーターの耳元ではじけたハスキーな声は、いつもより三割増しくらい艶っぽい。  エイモス・ウィンズロウ大尉はいつになく上機嫌な様子だった。 「やぁーっと、連絡くれたわね。うれしいわ。すぐに返事できなくて、ごめんなさいね。ちょうどフライトで、伊丹(いたみ)まで行ってたものだから」 「かまわないよ。調布には、戻ってきたばかりかい?」 「ついさっきね。びっくりしたわ。あなたが電話くれたって、聞いた時は」 「最初に断っておくが、デートの誘いじゃないよ」  あらかじめ、クリアウォーターは釘をさしておいた。  しかし、それでめげるウィンズロウではない。自由恋愛主義者を自称する大尉は、猫のようにのどを鳴らした。 「なに? デート抜きでベッド直行?」 「…そうしたいなら、ほかで相手を探してくれ」  クリアウォーターは軽くいなした。 「聞きたいことがあって、電話したんだ。君、以前『パイロットたちの目に映ったもの』という題名の報告書を、陸軍に提出しただろう?」  ウィンズロウから返答があるまで、数秒、間があった。 「――びっくり。まさかあなた、あれを読んだの? 戦争が終わってもう二年もたつのに。それも、航空関係者ならともかく…」 「少し、調べていることがあってね」  クリアウォーターは自分が今、日本の航空隊――特に『カミカゼ』に関わった者たちについて調査していることを、さしさわりのない範囲で伝えた。 「あの報告書は、非常にまとまっていてわかり易かった。私のような航空方面の素人でも、すんなり内容が頭に入ってきた」 「あら、ほめてくれてうれしいわ。でも私が書いたのは、ほんの一部分。あの報告書の大半は、別の人間がまとめたようなものよ」 「君と一緒に、共著者として名前が挙がっていた、ヴィンセント・E・グラハム少佐という人物かい?」 「…そうよ」  答えるウィンズロウの声音に、わずかだが変化があった。  懐かしさの中に混じる、微量の悲しみをクリアウォーターは聞き取った。 「もともと、彼の発案だったのよ。パイロットたちから聞き取りを行って、日本軍の戦術を書き残しておこうってアイデアは」 「…序文によれば、君もグラハム少佐も『アイスバーク作戦』に従事したそうだね」  その言葉を聞いたウィンズロウが、受話器の向こうで沈黙する。  『アイスバーク作戦』ーーそれは、連合軍によって行われた沖縄攻略戦のことだ。 「……『カミカゼ』について調べているって言ったわね。聞きたい話って、沖縄のことかしら」 「ああ。主にそうだ」クリアウォーターは正直に言った。  ウィンズロウは短いため息をついた。 「それ、電話でする話じゃないわね。それに多少は、アルコールが必要――ねえ、赤毛さん。今晩、あいてる? ワタシ、明日はまた別のところに飛ぶ予定だから、会う気なら今日がチャンスだけど」  そう言われて、クリアウォーターは返答に迷った。  カトウは久しぶりに翻訳業務室の面々と、新宿に飲みに行くと言っていたので、クリアウォーターの今夜の予定はフリーである。  しかし時間帯と状況と、なにより相手に問題がありすぎる。夜にアルコールが入った状態で、ウィンズロウをうまくあしらえるかと聞かれたら、絶対的な自信はなかった。  しかし、クリアウォーターの頭にうまい具合にある考えが浮かんだ。 「エイモス。君、今、調布飛行場かい?」 「そうよ」 「明日、フライトがあるというなら。飛行場内で会うというのはどうだい? ウィスキーの瓶を持参するよ」  ウィンズロウは少し考えて答えた。 「…いいわよ。ただ、アルコール度数がもう少し低いのにしてくれる? 出発時にお酒を残しておきたくないから」  私生活の奔放さと対照的な、意外と真面目な答えだった。    約束の時間は七時、持っていくのはワインと決まった。

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