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第10章⑬

 約束の時間の十分前。クリアウォーターが運転するジープは調布飛行場の東側にあるゲートにたどり着いた。ヘッドライトの白い灯りが、ゲート前に立つ手足の長い人物を照らし出す。ウィンズロウは少し前から待っていたようだ。短くなった煙草を掲げ、上機嫌な様子で停車したジープに近づいてきた。 「ハアイ。来たわね……って」  ウィンズロウの顔に、とまどいが浮かぶ。運転席のクリアウォーターの横にもう一人。助手席側に予期せぬ二人目の客を認めたからだ。  黒い巻き毛をした、イタリア系らしい男である。無邪気な表情を浮かべる顔の半面に、どういう理由でか、日本の縁日でよく見かける狐のお面をかぶっていた。 「チャオ。こんばんは」 「……こんばんは」  思わずウィンズロウは返し、すぐに目を運転席の方に転じた。 ――誰よ、この変な仮面男?  口に出さずとも、そんな台詞がクリアウォーターにはありありと聞こえた。 「彼はトノーニ・ジュゼベ・ルシアーノ・フェルミ伍長。私の部下だよ」  クリアウォーターは言った。 「証人として同行してもらったんだ」 「証人…って、何の?」 「君との間に、やましいことは何もなかったという証人だよ」 「………やったわね」  ウィンズロウが盛大に顔をしかめた。嫌味を言われても、クリアウォーターは涼しい顔だ。ジープにもたれかかった航空軍の大尉は、赤毛の少佐にずいっと顔を近づけた。 「ダニエル・クリアウォーター。あなた、そんなに今の恋人に(みさお)を立てたいわけ?」 「まさしく、その通りだよ」  クリアウォーターは心の底から同意した。  以前、ウィンズロウになるべく会わないようにすると、カトウに約束した身だ。今、こうして会っていることさえ、後ろめたさを感じている。  この上、昔の恋人との間でよからぬことになり、それがカトウに知られた日には――。  その先は、想像したくなかった。  ウィンズロウはあきれたように、口をとがらせた。 「もう! 一体全体、その恋人って、どこのどいつよ。いっそ、会いたくなってきちゃったわ。まさか、この仮面さん?」  ウィンズロウにきつい視線を向けられたフェルミは、「違いますー」と、この場にそぐわぬのんびりした口調で答えた。 「ぼく、女の子が好きだし」  えへへ、と笑うその顔は、現実ではない、どこか別の世界を生きているような印象をウィンズロウに与えた。麦わら色の髪をかきあげたあとで、ウィンズロウはクリアウォーターに向かって、指を二回回すジェスチャーをする。 ――この人、頭、大丈夫? 「伍長は私や君より、はるかに常識的な貞操観念の持ち主だよ」  それがクリアウォーターの返答であった。  フェルミが言った。 「あと、飛行機も好きだよ。だけど、一回しか乗ったことがないんだ。ここに来たら飛行機が見れるって、ダンが言うからワクワクしながらついてきたんだ」  茶色の瞳を輝かせ、期待に満ちた眼差しをウィンズロウに向ける。  航空軍の大尉はため息をついた。 「もう…そこまで言われちゃ、むげに追い返すわけにもいかないわね」  そう言うと長い足を翻し、ジープを通してもらうべく、ゲートの衛兵のところへ向かった。 「――調布飛行場(ここ)は元々、日本の陸軍航空隊の飛行場だった場所よ」  ジープの後部座席に乗ったウィンズロウが説明する。 「今、敷地の西半分は水耕栽培の農場になっているわ。そこで色んな野菜をつくってる」  夜ということもあってか、飛行場内は思いのほか暗く静かだった。明かりが見える建物の周囲も、人の姿はまばらで閑散としている。  助手席で物珍しげに景色を見渡していたフェルミが小首をかしげる。 「なんか思ってたより、さびしいところだね。人も少ないし」  それを聞いて、ウィンズロウは苦笑をもらした。 「仕方ないわ。もうすぐ、この飛行場は完全閉鎖になる予定だから」 「おや、そうなのかい?」  驚くクリアウォーターに、大尉は「ええ」と答える。 「主に、滑走路の問題よ。アメリカ軍の航空機が離着陸するには、少し短すぎるの。でも拡張するほどの予算もなくてね。それに、大規模な部隊が駐留するには設備も充分じゃないから…――沖縄から来た部隊の大半は、今は第五航空軍の司令部があるジョンソン基地(現在の入間(いるま)飛行場)にいるわ。ワタシも、秋にはそっちに行く予定よ……あ、そこで停めてちょうだい」  最後の台詞は運転手に向けられたものだ。  クリアウォーターは言われた通りの場所で停車した。格納庫のすぐそばだ。 「せっかく来てくれたんだから。いいもの、見せてあげる」  下車しながら、ウィンズロウは二人にウィンクする。 「あ、でも写真は撮らないでね。スケッチもダメ。一応、軍事機密扱いだから」  それを聞いたフェルミの顔に、あたかもおやつを取り上げられた子犬のような失望が浮かぶ。クリアウォーターがその肩をポンと叩いた。 「残念だけど、言われた通りにしなさい」 「……はあい」  しぶしぶといった態で、フェルミは持参したスケッチブックを助手席に残して席を立った。

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