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第10章⑳

「……自分でも嫌になる」 「何が?」 「クリアウォーター少佐を疑ったことだよ。自分がものすごく嫉妬深い人間に思えてきて…」 「なんだ、そんなこと」  自己嫌悪をあらわにするカトウに、フェルミは言った。 「別に気に病む必要はないって。夜遅い時間に昔の恋人に会うなんて知ったら、誰だっていい気はしないよ。大体、ダン本人だって、絶対に変なことにならないって自信がなかったから、ぼくを見張りがわりに連れて行ったわけなんだし」  言っているフェルミからして、ダニエル・クリアウォーターという男の貞節に関して、あまり信用は置いていない。なにせ恋人がいたにも関わらず、勘違いでフェルミにキスした前科の持ち主だ(※「毒麦探し」参照)。もっとも、そのことはカトウには言わない。余計な心配の種を増やしたり、せっかくうまくいっている二人の仲に波風を立てることはないと、フェルミにしては、しごくまっとうな判断を働かせた。  それから、すぐに話題を変えた。 「ーーでね。ダンに連れて行ってもらって、たくさん飛行機、見れたんだ」 「よかったな」 「うん。特にすごかったのが、P―61っていう爆撃戦闘機。真っ黒な塗装で、すごくカッコよかった。聞いたら、機首に最新のレーダーを積んでるって話で――」  小銭がなくなるまで、フェルミはウィンズロウの昔の乗機について、聞きかじった話をカトウ相手にとくとくと披露した。正直、カトウはさっぱり興味がなかったが、すぐに電話を切るのも悪いと思って、約二十分間、フェルミの話につきあってやった。  ようやく通話を終えるころには、すでに十時半を回っていた。  部屋にもどったカトウは、そのまま靴を脱いだだけでベッドの上に倒れこんだ。 「………つかれた」  身体的というより精神的に。夕方から今までの数時間、気をもみっぱなしだった。  もし、クリアウォーターの心が自分以外の誰かに向けられたらーーそう考えると、自分でもみっともないくらいに、心がざわついた。  元々、人間関係には淡白な方だと、カトウは自分で思っていた。肉親とは縁が薄い。友人も多くはないし、付き合いがいい方でもなかった。  ただひとり、戦友のハリー・トオル・ミナモリだけは例外だった。ミナモリに苦しいくらいの恋をして、彼が死んだあとはずっと立ち直れなかった。  出口のない暗い迷路に光を当てて、そこからカトウを連れ出してくれたのが、ほかならぬクリアウォーターだった。 ――つらいな。人を好きになると。  ほかの男に目移りしてほしくない。自分(カトウ)だけを見ていてほしい。  自分の心の底にある執着心を、カトウは(いと)いながらも否定できなかった。 「………」  ベッドの上で沈むこと五分。カトウは両手で頬を打った。 「――よし」  自沈タイムは終わり。  とにもかくにも、フェルミのおかげで疑いは晴れたのだ。なら、それでよしとすべきだ。  クリアウォーターとの日々はこれからも続いていく。明日も、赤毛の少佐の通訳として巣鴨プリズンで尋問の仕事が待っている。それが終われば、夜はまた恋人として一緒に過ごせる。その親密な時間をカトウは大切にしたい。嫉妬のようなマイナス方向の感情で、損ないたくはなかった。  気持ちを切りかえたカトウは、明日必要なものをカバンにつめこむと、早々に眠りについた。

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