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第11章① 一九四四年十二月

 東京都麹町区代官町は、かつては江戸城の北の丸と呼ばれた場所である。  今は宮城の北に位置し、近衛師団司令部や近衛歩兵第一・第二連隊をはじめとする軍関係の建物が集中する区画として知られている。  その中の赤レンガの建物の一室に今、四十人ほどの男たちがつめかけていた。  全員が軍服を身にまとっているが、年齢と階級にはばらつきがある。室内の半分ほどの面積を占める長テーブルの上座には、すでに還暦近くと思われる小柄な老人が座っている。肩や胸を飾る徽章は、彼が中将であることを示していた。かと思えば、少し離れたところには、大本営からやって来たと思しき、金モールを吊った少佐がいる。   そして末席に近いところに、まだ二十代半ばと見える若い大尉が場の雰囲気に萎縮することもなく腰かけていた。人目を惹く秀麗な眉目の持ち主だが、容易なことでは人と相容れない、剣呑な雰囲気を漂わせている。彼は先ほどから大きな瞳で、自分よりはるかに階級が上の者たちを無遠慮に眺めていた。帝都防空の第一線で、十二機の三式戦闘機「飛燕」から成る「はなどり隊」を率いる、調布飛行場所属の黒木栄也大尉である。  黒木の対面には、直属の上司である飛行戦隊の戦隊長が仏頂面で座っていた。時々、黒木の方へ落ち着かぬ目を向けるが、向けられた対象の方はといえば、不遜な態度で無視を決め込んでいる。その様子に、戦隊長は先ほどから何度も内心で苦虫をかみつぶしていた。 「――明日、防空総司令部の主催する会議がある。黒木大尉、貴様も参加せよと、師団長からの命令だ」  さかのぼることおよそ十六時間前。戦隊長は黒木を呼び出して、そう告げた。前日に戦死した米田一郎伍長の隊葬が行われ、骨上(こつあ)げもまだ済んでいない夕暮れ時のことだった。 「昨日、B29の帝都来襲時に、貴様の『はなどり隊』が二機を撃墜した。師団長を含め、上の方々の何人かが、貴様が行った戦法に興味を持って、詳細を知りたがっているそうだ」  直立不動の姿勢のまま、黒木は目をみはる。  そしてすぐに、これが彼の待ち望んでいた絶好の機会であることを理解した。  陸軍の上層部は今、海軍に対抗して体当たりによる「特別攻撃」を大々的に行おうとしている。黒木のような人間からすれば、「バカ」としか言いようがない愚挙だ。  その流れを何としても止めたくて、黒木は通常攻撃でB29を墜とせることを実戦で示そうとした。そして、昨日の戦いでようやく成功をおさめたのだ。  戦果を重ねていけば、上層部もいずれ無視できなくなる。そう期待していたのだが――期待以上の効果があったようだ。直接、航空関係の将官に訴える機会が早くもめぐってきた。これを逃す手はなかった。  もし上層部に特別攻撃に対する疑いを持たせ、その蒙昧(もうまい)を解くことができたなら――特別攻撃の流れを止められるかもしれない。  部下の工藤克吉少尉に体当たりをさせずに済むかもしれない。  そう考え、黒木は今日はじめて高揚した気分になった。 「いいか。余計なことは言うんじゃないぞ。何か聞かれたら、必要最低限のことだけ答えるように」  戦隊長はくぎを刺した。しかし、黒木がはなからその忠告を守るつもりがないのは、言うまでもなかった。  黒木はその夜、ピストの寝床にうずくまって、何をどの順序で説明するか一晩中考え続けた。周りでは「はなどり隊」の隊員たちが、寝息やらいびきやらを立てている。  十一月初旬には、ここに黒木を含めて十二人の人間がいた。それが今は、九人にまで減っている。米田一郎伍長は死んだ。工藤克吉少尉はほかの特攻隊員と共に、別の兵舎で寝起きしている。そして金本勇曹長は、負傷してあと数日は入院の身だ。  二機撃墜の戦果は、部下たちが死力を尽くしてもぎ取ったものだ。その成果を余すところなく伝えるのが、自分の役目だ――黒木は暗闇の中で、自分を奮い立たせた。

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