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第11章⑤

 調布飛行場へ、黒木は列車を乗りついで帰った。戦隊長と一緒に乗ってきた公用車を使う気にはなれなかった。  道中、軍用コートを羽織った若い大尉に向けて時々、好奇の目が向けられた。  とりわけ、これから勤労奉仕へ向かうらしい、十代の女性から。目深(まぶか)にかぶった軍帽の下から黒木が不機嫌な目を向けると、彼女たちはあわてて視線をそらした。しかし、黒木がいなくなったあと、必ずと言っていいほど華やいだ声で「今の人、見た?」と感想が飛び交っていた。  一方、列車を使ったことで、黒木は空襲が帝都にもたらした被害をいっそう克明に目にすることになった。焼失した住宅街。道に積み上げられた瓦礫や焼けた材木。一、二度、大きな円形の穴が、地面にぽっかりあいているのも見つけた。B29が落とした250キロ爆弾によるものだ。まだ小学校にも上がらない年ごろの子どもたちが、たくましくもその穴の中で遊んでいる姿が認められた。  列車内も含め、市中を行く人々の顔は意外にも暗くない。本格的な空襲が始まって十日余り。日本人のB29と米軍に対する敵愾心(てきがいしん)はいまだ衰えておらず、何とかこの苦難を乗り越えようという声の方が強かった。ただし空襲が長引けば、その気力もいつまで続くものか、保証の限りではなかった。  幸いその日の日中、B29が来襲することはなかった。  「はなどり隊」の搭乗員たちは、ピストの中で空襲警報を警戒しながらも、身体を休めて体力を回復させることに努めた。飛行場に戻ってきた黒木は一度、彼らの前に姿を現しただけで、日中はもっぱら外で過ごした。自分がかんしゃく玉を破裂させ、結局、成果を何も得られなかったことが尾を引いていた。  黒木はぶらぶらと飛行場内を歩き回り、整備をする千葉などを相手に時間をつぶした。それでも心は一向に晴れない。そして、いよいよ、金本のことが頭を占めるようになった。  飛行場にまっすぐ帰って来た黒木は時間が経つほどに、病院に寄ればよかったと思い始めた。金本に会って、午前中にあったことを洗いざらい、ぶちまけてしまいたかった。きっと、あきれた顔をされるだろうが、それでもかまわなかった。  空襲警報が鳴らないまま、一日は終わりをむかえた。  調布に戻ってきた戦隊長が黒木を呼び出したのは、夕食直前の時間帯だった。  呼び出された時点で十中八九、午前の会議についてのことだろうと、黒木は察していた。  戦隊長がこの時間を選んだのには、それなりの理由がある。日中、午後はB29による空襲の可能性がある。夜間空襲なら午後十時以降から深夜にかけてだ。それらの時間を避けたのは明らかだ。それでも、黒木はむしろ待ちくたびれた気分で、迷彩のほどこされた戦隊本部の建物へ向かった。  戦隊長はやって来た黒木を立たせたまま、今までで一番、深刻な顔を向けた。いい兆候ではなかった。数秒、無言で部下を見つめて、戦隊長は口火を切った。 「黒木。貴様が帰ったあと、私にある命令が下った」 「……」 「貴様も知っての通り。我が戦隊の特別攻撃隊は、いまだ戦果を上げていない。その原因について、上の方から『志願者』の練度が低く、技術が未熟であるからではないかと指摘があった」 「バカげています」  黒木の感想を、戦隊長は無視して続けた。 「――前提として。陸軍上層部は、特別攻撃を継続する方針だ。そして特別攻撃によるさらなる戦果を上げるために、隊員の一人には特に技量が高く、B29を体当たりによって確実に撃墜できる操縦者を改めて選ぶように、と言ってきた」  聞いた黒木は穴があくほど、戦隊長の顔を見つめた。そのあとで突然、調子はずれな声で笑い出した。  ひとしきり笑ってから、大尉は吐き捨てるように言った。 「――ああ、なるほど。そういうことですか。連中、とことん頭が悪いかと思っていたが、こんなことに限っちゃ抜け目がなかったわけだ」  黒い大きな瞳は今や、煉獄の火に似た陰惨な輝きを帯びていた。 「要は、ってことでしょう。小うるさい奴を手を汚さずに始末できる。これ以上ないくらいうまいやり方だ。むしろ、感心するくらいだ!」  嘲笑う黒木に浴びせられたのは、意外なひと言だった。 「違う。そうじゃない」 「……は?」 「上が言ってきたのはこうだ。『二人の候補者を、こちらですでに選んだ。どちらにするかは黒木大尉に選ばせろ』と。ひとりは貴様だ、黒木栄也大尉。そしてもう一人は――」  戦隊長が挙げた名前を聞いた瞬間、黒木の表情がこおりついた。 「金本勇曹長だ」

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