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第11章⑥

 黒木は混乱した。頭の中が、「なぜ?」という疑問詞で埋めつくされる。  それにまがりなりにも答えてくれたのは、戦隊長だった。 「先日、『はなどり隊』はB29を二機、撃墜確実にした。そのどちらにも金本曹長が貢献したことは、すでに飛行師団本部だけでなく、大本営にまで報告が上がっている。それ以前に、B29が初めて帝都の空に現れた時、最接近できたのが貴様と金本だった。そのことで、特に目をかけられていたとして、おかしくない……」  そこまで聞いた黒木の脳裏に、ある人物の存在がよぎった。今日の会議の場にもいた男。そして一ヶ月前、調布飛行場に現れ、黒木に向かって「なぜ体当たりしなかったのか」と嫌味たらしく言い放った、神経質そうな大佐――。 「…このバカげた茶番は、大本営のあのチョビひげ参謀の考えか?」 「今回の決定に、河内作治大佐が関わっているかは分からん」  戦隊長は確言を避けた。しかし内心では――新たに特攻隊員を選出するにあたって、黒木と金本のどちらを据えるか、黒木自身に決めさせる――それを考えついたのは、河内本人ではないかと、かなり強く疑っていた。 「ーー黒木大尉には、どうにも覚悟が足りないようだ」  あの場で、河内は口ひげをふるわせ、もっともらしい表情で戦隊長に説いた。 「戦争に犠牲はつきものだ。特に戦況思わしくない今の時期にあっては、時に涙を飲んで部下を死地に送らねばならない。それができぬ者に上に立つ資格はない」  河内の言は正しい。しかしその実、正しさで飾り立てた、陰湿でいやらしい処罰としか思えなかった。  戦隊長にとっても、麾下(きか)にある搭乗員の中から四人の特攻隊員を選出するのは、苦渋の伴うものだった。それでも「命令遂行」の大義名分が、いく分か心理的負担を軽くしていた。  しかし今回、黒木に与えられた命令は――黒木自身の生命と金本の生命を、てんびんにかけて選べと言っているに等しい。  河内や小脇、そしてあの場にいた者たちは、ほくそ笑んでいたに違いない。黒木は、金本を差し出すに決まっている。そして、それは自分の生命惜しさに、部下を犠牲にしたことに他ならない。  「恥知らずな臆病者」――黒木は自分の下した決断によって、一生消えない汚名を背負う。   今後、彼が何を言い出そうとも、部下を見捨てたことをちらつかせるだけで、うるさい口を封じることができる。  心を折って、二度と上層部の方針に逆らうことがないよう、精神的に去勢してしまう――それがこの命令の裏にあることは、明らかだった。  戦隊長は黒木を見やる。さすがに気の毒だと感じていた。と同時に、しょせんは誰もが同じ穴のムジナなのだと言ってやりたかった。戦隊長や、河内大佐や、さらに特攻を推進していこうとする人間たちと――貴様も変わることはないのだと。 「……それで、どうする?」  戦隊長は黒木にたずねた。 「決断に時間がかかるというのなら、ひと晩待つが――」 「必要ありません」  黒木はきっぱりと言った。 「俺を特別攻撃隊に入れてください」  予想外の返事に、戦隊長は最初、聞き違いかと思った。  だが黒木の顔を見て、その言葉が冗談でないと悟り、眉根をよせた。 「…いいのか、貴様。あとから心変わりしても…」 「しません。それに、前にそちらが言ったはずです。金本曹長はこれからの戦いに絶対に必要な搭乗員だと。俺もまったく同じ意見です。あの男が、こんなくだらない三文芝居の巻き添えを食って、犠牲になるのはバカげている」  黒木は戦隊長を見すえた。 「……ここでした話は全部、金本本人には黙っていてください。俺がくたばったあと、気に病まれては、こちらとしても迷惑だ」  黒木に翻意する気はない。そう悟った戦隊長は、嘆息して部下に告げた。 「――いいだろう。約束しよう」  それを聞いて、ようやく黒木はわずかに表情をゆるめた。  敬礼して出ていく大尉を、戦隊長は無言で見送った。胸中に様々な感情が入り乱れ、にわかに整理がつかない。  ただひとつだけ、明らかなことがあった。  黒木というやつは、自分や河内たちとは違う種類の人間だったと――。

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