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第11章⑦

……黒木が部下の金本勇に特別な感情を抱いていることに、戦隊長はついに気づくことはなかった。それは黒木や金本と直接対面する機会を持った、河内作治大佐にしても同じだった。  河内が以前、金本とすでに接点を持っていたことを、黒木たちは知る由もなかった。  今をさかのぼること六年前、河内は当時、航空本部長であった東條英機にある献策を行った。皇太子暗殺をはかった大逆人、金光洙(キムグァンス)の実弟であり、飛行学校卒業を間近にひかえていた操縦生徒の金蘭洙(キムランス)――金本勇を、手を汚さずに葬り去る方法をだ。  空戦技術が未熟な金本を最前線に送り込み、早晩にも戦死させる。それで問題は片がつく――はずだった。  ところが東條や河内たちの予想に反し、金本はしぶとく生き残っていた。  それを知った時、河内が覚えた腹立たしさは、余人には理解しがたいものだろう。自分の思った通りに事が運ばない――これほど、河内の怒りをかりたてることはなかった。 ――今からでも遅くはない。  いくら武勲を重ねようとも、金本勇が大逆人の弟であるという事実が変わることはない。はなから軍に籍を置くにふさわしくない朝鮮人の男を、なんとしても排除してしまいたい。  金本の生存をはからずも知った河内は強く思った。  そこへ来て、金本の上官である黒木が、小脇順右を相手にあの騒動を起こした。  これぞ千載一遇の好機であると、河内は考えた。  河内の策は、黒木や戦隊長が考えるよりもさらに裏があった。黒木は金本を差し出す。そうなれば、黒木を精神的に追い込んでつぶしてしまえるだけでなく、金本を特攻隊員に任じ、今度こそ確実に葬り去ることができる。  体当たりを厳命されていたら、体当たりを行っていた――過日、金本は河内に向かってそう言った。それを実行してもらおうではないか。 ――今度こそ、うまくいく。  大本営参謀部へ戻る道中、河内は薄笑いを浮かべていた。  大佐はまだ知らない。彼が得意げに描いた未来図は、一日と経たない内に打ち砕かれることになると。  軍の方針に従わない生意気な大尉が、よりにもよって河内たちの予想と真逆の決断を下したからである。それによって、手を汚さずに金本を葬り去るという河内の計略は、またしても頓挫することになった。

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