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第11章⑧
「本日付で『はなどり隊』に配属となった笠倉 孝 曹長です。誠心誠意つとめますので、どうかよろしくお願いいたします」
殊勝げに名乗り上げたあと、笠倉は失礼にならない程度に、上官となる黒木栄也大尉の姿を眺めた。
――男にしておくには、もったいない美人だな。こりゃ。
それが黒木に対して、最初に抱いた感想だった。笠倉は少年飛行学校を卒業後、数年間を外地の前線で過ごした。どちらかと言えば小ぶりで彫りが深く、目の大きい黒木の顔は、南方で時折見かけたヨーロッパ人と現地人の混血美女を思わせた。
黒木の美貌はさらに、笠倉にある四字熟語を連想させた。
ーー「美人薄命」か。
すでに特別攻撃隊に入れられた黒木の命は長くない。
そして、この上官の最後を見届けることこそ、笠倉に人知れず課せられた任務であった。
…笠倉は三日前まで、三重県にある明野教導飛行師団――かつて明野陸軍飛行学校だったものが、戦局の悪化によって改変され、航空戦力の一端を担うようになった――において、訓練生を指導する助教をつとめていた。
そこへ突然、調布飛行場への転属命令が下された。
寝耳に水とはこのことで、おまけとばかりに前後して一通の電報が笠倉のもとへ届けられた。それは祖母の葬式で会ったきり、ろくに交流もなかった大叔父から送られたもので、調布へ向かう前に大本営参謀部へ寄るように、と記してあった。
わけが分からないながらも、笠倉はとりあえず言われた通りにした。
すなわち、東京駅に着いたその足で、大叔父――河内作治大佐を訪ねたのである。
「おお。お前の母から航空兵になったと聞いてはいたが。立派になったものだな」
型通りの河内の賛辞に、笠倉は一拍遅れて「おかげさまをもちまして」と答えた。そこに込められた皮肉に、河内は気づいた様子はなかった。
笠倉の家は中学の頃まで、比較的裕福な部類に属した。しかし、父親が穀物の投機に失敗したことで、家計は急速にかたむいていく。笠倉は高商(高等商業学校)へ進むつもりだったが、学費を工面できる見込みがなくなった。それだけでなく、中学の卒業さえ難しくなったのである。
この時、笠倉の母が頼ったのが、当時陸軍少佐となっていた叔父の河内だった。せめて息子の学費だけでも援助が得られないか、彼女は汽車を乗り継ぎ、東京まで懇願しに行った。
だが、河内は一貫して冷ややかな態度で聞く耳を持たず、最後には追い返されてしまった。
結果、笠倉は中学を中退せざるを得なくなった。その後、地元の小さな会社で働きはじめたものの、あいにく仕事はまったく面白くない。やめようかと思っていた矢先に、「ものは試し」と受験した少年飛行学校に合格したため、ここに笠倉の進路は決定した。
もし河内が当時、自分を経済的に援助してくれていたら、航空兵としての笠倉は存在しなかったはずだ。派遣された南方でマラリアにかかることも、アメリカの戦闘機P-47との交戦中に撃墜され、死にかけることもなかっただろう。もっとも、その負傷が原因で、戦局が決定的に悪化する前に内地へ戻ることができたわけだが。
それはさておき。陸軍に入った後も、ずっとこの大叔父とは没交渉だった。
ーー今さら何の腹づもりがあって、自分を呼び出したのか。
内心で警戒する笠倉に向かって、河内が言った。
「お前を明野から調布へ移すよう手を回したのは私だ」
「………」
笠倉は警戒水準を一段階、上げた。
「そこで、やってもらいたい仕事がある」
「何をしろと?」
「特別攻撃隊に入った黒木という大尉が、逃げずに体当たりを遂行するか、見届けろ」
…大叔父の話を要約すると、こういうことらしい。
この黒木という大尉は軍の上層部――そこに大叔父も入るようだ――に盾ついた結果、早急に「排除」すべき対象となったと。
それを聞いた笠倉は、たいして感慨も抱かなかった。失態を犯したり、上官の不興を買った将兵が、危険な任務につかされるのはよくあることだ。その手の非公式の懲罰は、軍では珍しくもない。だからこそ、たいていの人間は上から睨まれないようよう、あるいは気に入られるように、身の振り方に気を付ける。笠倉自身も、そうやって軍の中でやり過ごしてきた。
要は、「長いものには巻かれろ」ということだ。
だから今回も、大佐にまで出世した大叔父の言われた通りにすることにした。
ただひとつだけ、「仕事」を引き受けるに当たり、笠倉は条件をつけた。
「問題の黒木大尉が体当たりを果たして死んだら。俺をすみやかに、明野に戻してください」
帝都に対するB29の空襲が続いている。今や、調布飛行場は最前線基地と言っていい。
米軍はいずれ空襲の目標を、日本のほかの都市へ広げていくだろう。そうなれば飛行師団に組織改編された明野の航空兵も、いずれは戦闘へかりだされる。しかし、それは今しばらくは未来に属す話だ。
正直、笠倉はできる限り安全な場所にいたかったし、一日でも長く生きのびたかった。
今までさんざん戦ってきた自分には、それが許されるはずだと思った。
しかし、河内はこの要求に言葉を濁した。
「黒木が死んで、すぐにというわけにはいかないだろうが……」
大叔父は何か隠している――笠倉はそう感じた。その直感は正しかった。
河内は黒木が死んだ後、金本を特別攻撃隊に入れてしまえるよう、すでに手はずを整えていた。そして、その体当たりの確認も、目の前にいる亡姉の孫にやらせる心づもりだった。
「なるべく、早く戻れるよう手配する」
確約を避けたその言葉で、笠倉はしぶしぶ引き下がるほかになかった。
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