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第11章⑫

 この頃になると、特別攻撃隊に選ばれた搭乗員は原隊を離れ、仮泊所に設けられた七畳ほどの部屋で寝泊まりするようになっていた。  そこにいた隊員のひとりが急に原隊に戻され、かわりに黒木がやって来た時、工藤克吉少尉は驚いて、しばらく二の句がつげなかった。工藤の反応に、黒木は自嘲げに笑う。  工藤を外に連れ出すと、ここに来るに至った経緯について、話せることだけ話した。会議の場で特攻の不要論をとなえたこと、そこで大本営報道部の小脇少佐と派手にやり合ったこと、上層部ににらまれる結果となったこと――。  そして四人からなるこの特別攻撃隊の隊長に、黒木は任じられた。彼が一同の中でもっとも階級が高かったからだ。  その上で、戦隊長から改めて言いわたされた。  次にB29の編隊がやって来た時には、必ず体当たり攻撃を遂行せよ、と。  いよいよ退路は断たれた。  戦闘機搭乗員は空襲警報が鳴って出撃の時がくるまで、訓練の予定などがない限り、基本的にひまだ。それは特攻隊員も同じだった。  今まで黒木は「はなどり隊」の隊長として諸々の雑務があり、地上にいてもやることに事欠かなかった。しかし特別攻撃隊に入れられると同時に、「はなどり隊」の隊長の任を解かれた今は、やることがなかった。  普段なら千葉のところにでも行くのだが、今はそれも行きにくい。なにせ黒木を見るたびに、葬式の参列者みたいな陰気な顔をするのだ。だが、さすがの黒木も「普段通りにしろ」とは言いにくかった。  時間をもてあましている黒木を見かねたのだろう。 「ーー将棋でも、さしませんか」  工藤がさそってきた。黒木は思うところがあって、それに乗った。  工藤は私物の将棋盤と駒を、仮泊所にも持ち込んでいた。  黒木は箱に入った駒を手に取って並べた。最後にさしたのがいつだったか、覚えていない。駒が将棋盤にふれるパチ、パチという音も久しぶりに聞く気がした。 「貴様、けっこう強いんだろう」  黒木がつぶやく。彼が先手だった。 「隊内じゃ、負け知らずじゃなかったか?」 「いいえ。そもそも、将棋のさし方を知らないやつもいますので。勝負をしていた相手は限られます」  後手の工藤が駒を動かす。迷いがない。黒木が『角』を進めて『歩』を取っても、すぐに次の手を打ってきた。 「たいてい、今村が相手になってくれることが多かったです」 「あいつ、将棋は強いのか?」 「…向こうが、三回勝っています」 「残りは全部、負けかよ。よくそれで、やる気が続くな」 「俺も時々、そう思います」  工藤が淡々と言ったので、黒木は思わず笑ってしまった。  盤上では、黒木が早くも攻勢をかけていた。工藤が記憶する限り、黒木とさすのはこれが初めてのはずだ。工藤は勝負を進める内に、いかにも黒木らしいさし方だと感じた。  とにかく、攻めの一手なのだ。力技と綱渡りめいた危ういやり方で駒を進めてくる。  黒木という大尉は、いかなることにおいても攻撃を第一とするらしい。剣道にせよ、将棋にせよ、あるいは空中で戦闘機を駆っての格闘戦にせよ――端麗な容貌と裏腹に、皮膚の下では火炎のような闘気が常に燃えている。  パチ、パチと駒が動く。しばらく、黒木も工藤も勝負に集中した。  黒木が再び口を開いたのは、『歩』を工藤の陣深くに食い込ませた時だった。 「……一番弱い駒でも、時間をかければ強い駒になる」  工藤の陣内に入った駒を、黒木はひっくり返す。『と金』。前に一歩ずつしか進めなかった『歩』が前、斜め前、横、そして後方へ動ける「金」と成った。 「どんな搭乗員も、最初は『歩』だ。だが、いずれは『金』になれる。時間さえかけて経験を積めば、いっぱしの名手になれる」  次の手を打とうとした工藤の手が止まる。  「はなどり隊」の元隊長は、かろうじて工藤の耳に届く程度の声でささやいた。 「――俺が体当たりをする。誰かひとりがぶつかれば、上への言い訳は立つ。だから貴様はそのまま飛行場へ戻ってこい」

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