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第11章⑭
……警報の音が遠ざかる。時間の流れが止まったような錯覚さえ、金本は覚えた。
黒木とまともに顔を合わせるのは、B29の迎撃に上がり、負傷して以来のことだ。黒木が特別攻撃隊に入れられた――その知らせを中山から聞いて、金本はいてもたってもいられなくなった。軍医の許可も得ず、急いで病院を抜け出して調布飛行場まで戻ってきた。
黒木の姿はいつもの出撃時と変わらなかった。半長靴をはき、飛行服で身をかためている。これから帰還が見込めぬ死地へ飛び立っていくなど、悪い冗談ではないかと一瞬、思う。
だが、それも黒木の後ろから工藤たちが現れるまでだった。
黒木は最初に会ったあの日と同じ、殺気のこもった目で金本をにらんだ。
「――先に行け。すぐに追いつく」
その台詞は工藤たちに向けられたものだ。有無を言わせぬ口調から、剣呑な雰囲気をかぎとった特攻隊員たちは、無言で従った。ただ工藤だけは金本とすれ違う時、それと分かる程度に目礼する。
彼らが仮泊所から出て行き、人の気配が消えた後、ようやく黒木は口を開いた。
「ーー何をしに来た。というか、なんだその格好は?」
黒木が言うのも無理はない。金本もまた飛行服姿だった。ただしケガをした左足は、松葉杖をついている。包帯がまだ取れない足を強引に靴に突っ込んだせいか、先ほどからふくらはぎが痛んでしかたない。しかし、そんなのはささいなことだった。
「俺も飛びます」
「却下だ」
金本の言を、黒木は問答無用ではねつけた。
「とっとと、病院に戻れ」
その命令を金本は無視する。なりふりかまわず、空いている方の手で黒木の肩をつかんだ。
「体当たりはするな!」
金本は言った。
「体当たりをしなくても、B29を落とすことはできる。この前、それを実証できたはずだろう。それなのに……どうして、こんなことになった? どうして、特別攻撃隊に入れられたんだ?」
金本の問いに黒木は答えない。顔をそむけ、金本の手を振り払おうとする。金本は力ずくで黒木を壁ぎわに押さえ込んだ。
「俺も飛ぶ」
金本は必死で食い下がる。
「前回と同じように、協力して通常攻撃で撃墜すればいい。戦果さえ挙げれば――」
「無理だ」
黒木が冷たくさえぎった。
「『必ず体当たりしろ』と厳命されている。それ以外のやり方は、たとえ戦果を上げたとしても認められない」
「……そんな」
「運が良ければ、こいつが役立つかもしれんがな」
黒木は薄く笑って、持っていた落下傘を叩いた。
B29に体当たりしたあと、損傷した機体から脱出可能な場合を想定し、落下傘を携帯することは認められていた。
ただし、それはほとんど気休めのようなものだ。
ぶつかった瞬間に、衝撃で死ぬ可能性がいちばん高い。よしんば、運よく即死をまぬかれたとしても、そこは高度一万メートルに近い世界だ。エベレストより高い。そんな場所で酸素マスクがなければ、たちまち酸欠で失神する。あるいは機体が操縦不能となり、きりもみ状態で落ちていけば、その時点で脱出はもう不可能である。数十秒生きながらえた挙句、結局は地面に叩きつけられて終わりだ。
あれこれ、考える内に黒木はいよいよ自覚する。金本と言葉を交わすのも、おそらくこれが最後だ。
ーー最後の最後まで、こちらの思い通りにさせてくれない。
どこまでも腹立たしい男だ。殴りたくなってくる。
その金本は、いよいよ追いつめられた顔で黒木の方を見ている。黒木を押さえつける手を、ゆるめない。
まるで、そうしていれば、黒木を地上に引き留めておけるとでも言うように――。
――死んでほしくない。生きていてほしい――
前に金本に言われた言葉だ。それは、うそではなかった。
金本は来てくれた。黒木が死にに行くのを、わざわざ止めに来てくれた。
…そう思って、黒木は少し救われた気がした。
金本に対してずっと強ばっていた心が、ほどけていくのを感じた。
「――もう、充分だよ」
黒木は金本の頬にふれた。
この男が好きだった。気持ちは通じなかったし、望んだ関係になることはできなかったが、それでもーー。
「お前に会えてよかった」
肌のざらついた感触も、骨ばった顔の輪郭も、初めて出会った時からずっと黒木に向けていた眼差しも――死の刹那まで、すべて忘れずにいたかった。
黒木は手をのばし、金本のうなじを引き寄せる。
松葉杖が床に落ちて転がるより先に、二人は互いに口づけていた。
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