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第11章⑯

 笠倉孝(かさくらたかし)曹長にとって、調布への転属は約八ヶ月ぶりとなる実戦部隊への所属を意味した。  隊員の戦死、負傷、また特別攻撃隊への転出によって、『はなどり隊』の搭乗員は九名に減っている。副隊長である今村は、部隊を三人からなる三つの小隊に編成し直した。黒木が隊長の任を解かれたことで、『はなどり隊』の指揮は一時的に今村の手にゆだねられていた。  その今村が笠倉のところへやって来て、小隊のひとつを率いて欲しいと、この曹長に言ってきたのは、数日ぶりにB29が編隊で来襲する前日のことだった。  ちょうど配給品の煙草で一服していた笠倉は、目をぱちくりさせた。 「…俺は新参者ですよ、少尉どの」 「分かっている。だけど、ほかにできる人間がいないんだ」  今村は張りつめた声で言った。 「今まで小隊を率いて編隊行動が行っていた人間が、まとめていなくなってしまったんだ。黒木隊長どのに、工藤、それに金本曹長……ほかに、かろうじて小隊を指揮できそうなのは俺と松岡くらいだ。着任早々、一度も飛んでいない状況で無理を言っているのは百も承知だ。けれど頼む。どうか、引き受けてくれ」  今村は一息に言って頭を下げた。  笠倉は煙草をくわえたまま、今村を見返す。責任の重さに耐えかね、押しつぶされそうになっているのが、容易に見て取れた。 ――まあ。無理もないわな。  年齢と軍に染まりきっていない言動からして、今村和時少尉は特操出身だろうと、笠倉は正しく見抜いた。元は学生で、軍人としての経験はせいぜい一年かそこらのはず。それが、いきなり所属する部隊の隊長が解任されて、その仕事を代行する羽目に陥ったとすれば、胃痛になってもおかしくない。  搭乗員を生かすも殺すも、自分の指示一つにかかってくるのだから。  笠倉は不味(まず)い煙草の煙を肺に取り込み、考えた。  搭乗員の顔と名前すらおぼつかない――さらには飛行技量がどの程度かすらも、把握できていない。そんな状態で、小隊を率いるのは気が進まない。  しかし、ものは考えようだ。技量が未熟な人間の下について、危ない目に遭わされるより、ある程度、自由がきく立場にいた方がマシかもしれない……いや、絶対にそうだ。以前、ろくでもない上官のもとで、えらい目に遭った経験が、笠倉に決断させた。 「――分かりましたよ」  笠倉は煙を吐き出して言った。 「やれることはやります」  それを聞いた今村が安堵の表情を浮かべた。 「ありがとう。恩に着る」  今村が立ち去った後、笠倉はひとりごちた。 「……やれやれ。妙な具合になったな」  元をただせば、自分が調布に来たのは黒木栄也大尉の死を見届け、それを大叔父に報告するためだ。それが終われば明野に戻れる(はずだ。そうなってもらわないと困る)。  この『はなどり隊』にいるのも、せいぜいひと月かそこいらだろう。  はなから深入りするつもりはない。笠倉は自分に言い聞かせるように、つぶやいた。 「まぁ、仕方ない。これも仕事のうちと割り切るか」

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