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第11章⑱
笠倉はスロットルを開き、機速を上げた。横にすべるような動きで、距離をつめる。ほどなく、B29の銃座がいっせいに笠倉の方へ向いた。と同時に、視界いっぱいに曳光弾の光が花火のようにはじけだした。
「うおっ……っとっと……!!」
叫びながらも、笠倉は素早い手つきで機体を操った。今度はスロットルをしぼり、失速寸前の速度におとす。方向舵を右に左に踏みかえる。
決して速くはない。だが、奇妙なことにB29のどの機銃も、笠倉を捉えることはできなかった。それはまるで、ウナギのような動きだった。
逃げ回りながら、笠倉は後ろを向く。東の機体がまだ見える。そのそばに林原と竹内の飛燕が近づく。
「早く、どっか行け!!」
笠倉が文句を言った直後、ようやく飛燕があきらめたように二機の味方に随伴されて離れていった。
もう心配の必要はない。そう判断し、笠倉も離脱にかかった。
さらに逃げるついでにと、離れる直前に、B29の胴体に何発か機銃の弾を撃ち込んでやった。落とせるとは思っていない。ただの威嚇だ。さもなくば、挑発的表現による「どうぞ、おひきとりください」の挨拶か。
どちらにせよ、これがB29の射手たちの逆鱗に触れたようだ。
下方へ逃れる笠倉の飛燕を逃がさじと、今までで一番稠密な集中砲火が来た。
何発かが命中し、飛燕がバリバリとイヤな音を立てる。笠倉は一瞬ヒヤリとした。しかし、少なくとも今日の分の幸運は、まだ底をついていなかったようだ。搭載した燃料に引火することもなく、飛燕は搭乗員の性格が乗り移ったかのように、不平不満の音を上げながらも飛び続けた。
「……やれやれ。ひとまず命拾いしたか」
高度計を確認すると、七〇〇〇メートル近くになっている。逃げるのに、一気に一〇〇〇メートルも降下していた。
笠倉は風防越しに下界を眺めた。一時の方向に、白くふちどられたクレーターのようなものが見える。富士山の火口だ。さらに直下の地形や海岸線の形から、自分が奥多摩上空を飛んでいると判断した。
「とにかく上昇だな。林原たちと合流しないと――」
上を見上げた時、ぼやく笠倉の口がとまった。
B29の新たな編隊が、今まさに笠倉の頭上を通過しようとしていた。高度差は一五〇〇メートルほどだろうか。
そのB29編隊のさらに上方に、一機の戦闘機が浮かんでいることに笠倉は気づいた。
一瞬、東 の機体かと思った。だが過給機の装備されていない飛燕が、この短時間で九〇〇〇メートルまで上がれるはずがない。ならば、あれは――。
「特攻機だ……」
笠倉が確信した直後のことだ。それまで出方をうかがっていた戦闘機が、B29の編隊めがけて突撃した。
そこから起こったことは、まばたきを数回する程度の短い間の出来事だった。
突っ込んでいった機体――それが飛燕だと、笠倉は見て取った――は、複数のB29から集中砲火を浴びせられた。炸裂弾が命中したらしく、ぱっと赤い炎が左翼のあたりから噴き出す。しかし、炎に包まれながらも、飛燕はとまることなくそのまま編隊前方を飛んでいた一機のB29に、覆いかぶさるように衝突した。
ふたつの影が重なった刹那、片方がバラバラに砕け散った。
複数の火球と化した飛燕が、回転しながらまるで隕石のように地上へ落ちていく。笠倉はとっさに搭乗員の姿を探した。だが無駄であった。機体の残骸は瞬く間に、足下へと消えていった。
それからキラキラしたものが上から降ってきた。氷の破片のように見えたのは、根元からへし折られたB29の主翼だった。その後を追うように、体当たりされた機体が黒煙を上げながら、恐ろしい速さで高度を下げていく。
墜落していく先に奥多摩の山々があった。
その時、声もなく見守る笠倉の視線の先で、白い小菊のようなものが二つ三つ立て続けに開いた。落下傘だ。どうやらB29の方は搭乗員の何人かが、運よく脱出を果たしたらしい。それから何秒も経たない内に、山肌のひとつに墜落したB29がオレンジ色の炎の華を咲かせた。
黒煙が冬の乾いた空を薄墨色に染めていく。
笠倉は深いため息を吐き、現在時刻を確認した。そして、無線のスイッチを入れた。
「こちら、『はなどり』の笠倉。たった今、体当たりを確認した。くり返す。体当たりを確認した。味方機が『かもくじら』一機を撃墜。くり返す。味方機が『かもくじら』一機を撃墜。場所は――」
報告しながら、ぼんやりと笠倉は考えた。
――あれは、黒木大尉の機体だったのか?
分からない。ただ、断言できることがひとつだけあった。
あの特攻機の搭乗員は間違いなく死んだ。
それも、あとで遺体を回収するのが困難なくらいに、燃えてバラバラになって。
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