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第12章③

 「ガラガラヘビ」もさすがに予知しえなかっただろう。  彼女が数ヶ月前に殺そうとした赤毛の少佐と殺しかけた日系二世(ニセイ)の軍曹の二人はこの時、「ガラガラヘビ」の独房から二百メートルも離れていない所にいた。  巣鴨(すがも)プリズンのメインゲート。  一時停車するウィリス・ジープの運転席で、クリアウォーターは詰所の衛兵に向かって慇懃無礼に言った。 「ーー私はそちら側の手続きに則って、あらかじめ面会の許可を得たし、昨日もその旨、確認の連絡を入れた。それなのに入れないというのは一体、どういうわけだい?」 「そうおっしゃられても、来訪予定者のリストに名前がない以上、入れるわけにはいきません」  赤毛の上官と衛兵の間で交わされる会話を、助手席のカトウはハラハラしながら見守った。クリアウォーターは珍しく腹を立てていた。無理もない。今日、尋問する予定の人間に会いにやって来たのに、ゲートで文字通り門前払いをくらいそうになっている。カトウはこれまで何度も、クリアウォーターの尋問に通訳として同行してきたが、こんな事態は初めてだった。  怒りながらも、クリアウォーターは紳士的な振る舞いを忘れない。ジープの後ろから大きなリュックを背負った日本人が徒歩でやって来ると、衛兵への抗議を一時中断して、先に通してやった。  衛兵の青年は、あごひげを生やしたその男と面識があったようだ。男に気づくと、面会に来る戦犯の家族にはまず見せない丁寧で親しみのある笑みを浮かべた。 「ああ。おはようございます、牧師さま」  そう言うと、机の引き出しを開けて、あっさりと男に入構許可証を手渡した。  ひげ面の牧師が去った後、彼は再びいかめしい顔でクリアウォーターに向き直る。しかし、クリアウォーターもここで引き下がる気はない。  お互いの主張を重ねること、さらに十分。  気乗りしない衛兵を説得して電話をかけさせ、ようやく敷地の中に入る許可を得た。  動き出したジープの中で、クリアウォーターはカトウに向かって苦笑いし、「やれやれ」と言うように首を振った。  詳しい事情が判明したのは、プリズンの管理区域にある本庁舎で、面会を差配する担当官に会ったあとだ。 「どうやら、手違いがあったようですね」  大尉の階級章をつけた担当官はあっさり言った。 「連絡を受けた者が、来週の土曜日に予定を書き込んでいました。あいにく、そちらが面会を希望した者は本日、整地作業に従事するために市街に出ています。申し訳ありませんが、日を改めてお越しいただけませんか」 「いや。それでは困る」  クリアウォーターは食い下がる。参謀第二部(G2)のW将軍への報告を、二日後にひかえている。なんとしても今日中に尋問を済ませ、情報を得ておきたかった。 「多少、時間がかかってもかまわない。呼び戻してくれないか」 「無理ですね。作業に従事する囚人たちは、集団でトラックに乗って行ったんです。もちろん、帰りも同じ方法で戻ってきます。ただ一人を呼び出すために車を出すことはできません」 「なら、作業をしている場所を教えてくれ。こちらのジープで迎えに行く」 「いや、それは…――」  担当者とクリアウォーターの間でなおも交渉が続く。  カトウはと言えば、完全に蚊帳の外だ。クリアウォーターの手助けをしたい気持ちはあるが、もとより交渉ごとは得意ではない。口を挟んだところで逆に足を引っ張るだけなので、おとなしくそばに控えていた。  カトウは二人の間で交わされるやり取りを聞きながら、窓の外を眺めた。  この巣鴨プリズンでは、敷地内の各ブロックが色によって呼び分けられている。  カトウたちが今いる本庁舎を含め、管理部門がある区域はグリーン地区、囚人たちが収監されている六つの主監房のエリアはレッド地区、プリズンに勤務するアメリカ軍の将兵が住む宿舎やPX、娯楽施設があるところはブラウン地区といった具合だ。そして各ブロックは、高いコンクリートの壁と鉄の扉とで厳重に仕切られていた。  さらに、窓の外に見える区画はブルー地区と呼ばれている。そこには、プリズン内でも数少ない女性の囚人が収容されていると、カトウは聞いていた。  どんな人間がそこにいるのかと、カトウがつらつら考えていた時だ。  すぐそばで、根負けしたらしい声が上がった。 「――分かりました! そこまでおっしゃるのなら、今からこちらに呼び戻します」  担当官の大尉はわざとらしく後ろを振り返ると、壁にかけてある時計を見やった。 「一時間……いえ、一時間半後がいいでしょう。十二時にもう一度、こちらにお越しください」 「了解した。どうも、ありがとう」  クリアウォーターはにこやかに言った。多少、時間がかかったが、どうにか目的は達せられた。まあ、当然と言えば当然だろう。  相手を口でまるめ込むことに関して、この赤毛の少佐以上の適任者はそうそういなかった。 「十二時までどうします?」  本庁舎の階段を下りながら、カトウはクリアウォーターにたずねた。 「そうだね…」  クリアウォーターは少し考える。こういう事態を想定していたわけではないが、空いた時間を活用できるよう資料を持参している。それを読んで時間をつぶすこともできるが……。  カトウに向かって、クリアウォーターは飾り気のない笑みをひらめかせた。昨日の夜は金曜日だというのに、恋人でもあるこの部下と過ごす時間がなかった。  それを踏まえた上で、クリアウォーターは自分にとっていちばん有効な時間の活用方法を、選ぶことにした。 「近くにおいしいコーヒーを飲める店を知っている。そこで少しゆっくりしたあと、早めの昼食をとることにしないかい」

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