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第12章④

 時期によって異なるが、巣鴨プリズンには多い時で千人をこえる囚人が収容されていた。  その大半が戦犯――連合国から戦争犯罪の容疑をかけられ、裁判を経て刑が確定した者――か、戦犯容疑で逮捕された後、プリズンに収監されて裁判の開廷を待つ者である。  東條(とうじょう)英機(ひでき)元首相を筆頭に、「平和に対する罪」を問われたいわゆるA級戦犯は東京の市ヶ谷にある法廷で、そして「通常の戦争犯罪」ならびに「人道に対する罪」を問われたBC級戦犯は、横浜の法廷で裁かれていた。  巣鴨プリズンではこの頃、刑が確定した囚人に対して背中とひざに「P」の文字がついた囚人服が支給されるようになっていた。  彼らはほぼ毎日、プリズンの中か外で、さまざまな労働を課せられた。仕事はいくらでもある。空襲で破壊された市街には、まだ各所に焼失した建物の残骸が残っていて、がれきの撤去に人手はいくらあっても足りないくらいだ。また、アメリカ軍将兵に新鮮な野菜を供給する目的で、調布飛行場では敷地の半分をつぶして水耕栽培場としたが、その栽培・収穫にも巣鴨の囚人たちはかりだされた。  さらにプリズンの管理者たちは、病気や害虫の発生をおそれ、衛生状態には常に気を配っている。そのため、刑務所内の清掃も重要な労働の一環として、囚人たちに行わせていた。  クリアウォーターとカトウが巣鴨プリズンを訪れたその日も、所内の一角にある食糧庫に、数名の囚人が掃除目的で配置されていた。いずれも「P」の文字が目に付く囚人服を着て、手にホウキやごみを入れる袋を持っている。しかしよく見れば、彼らの中にひとりだけ無地のシャツとズボンを身につけた男がいた。  年齢は四十くらいだろう。中肉中背で、これといって特徴のない顔に黒いセルロイドの眼鏡をかけている。  もしも、クリアウォーターかカトウがこの場にいれば、男が誰であるかすぐに言い当てただろう。つい五ヶ月前、二人は巣鴨プリズンでこの人物を尋問していた。   元帝国陸軍の情報将校――甲本(こうもと)貴助(きすけ)だった。  かつて東京憲兵隊特高課に所属し、「皇太子殿下爆殺未遂事件」の捜査にも携わった男は、その後、フィリピンに拠点を置く第十四方面軍へ転属となっていた。そして一九四四年、負傷してマニラの病院にいた時、上陸してきたアメリカ軍に捕らえられ、捕虜となったのである。  戦後、戦犯容疑によって、甲本はこの巣鴨プリズンに収監されるに至った。  甲本は第十四方面軍にいた時、その占領区域でゲリラと第五列(潜入工作を行うスパイ)の摘発に当たっていた。その間、日本側が捕虜としたアメリカ軍の将兵の尋問にも携わったのだが、彼らに拷問を行って死に至らしめた嫌疑がかけられていた。のみならず、この男はシンガポール及びマニラ近郊の農村で民間人の虐殺を実行したとして、イギリスとフィリピンの両政府から、その身柄の引き渡しが要求されていた。  このような政治的な理由から、甲本貴助の裁判の開廷は遅れに遅れた。  しかしアメリカ軍が交渉を重ねた結果、一九四七年の春になってようやく、甲本にかけられた嫌疑はすべて横浜法廷において裁かれることが決定した。  一九四七年六月、ついに裁判は開廷する。いざ始まるとその進捗はきわめて速く、八月の下旬には結審となると見込まれている。  そして、これまでの経過を見る限りーー死刑判決が下される可能性がきわめて濃厚だった。  裁判が始まっても、甲本の言動に大きな変化は見られなかった。  未決囚に往々にして現れる焦慮もない。ただ、監房において時間を無為に過ごすのを嫌ってか、時折、自ら希望して囚人の労働に従事することがあった。その時、彼は自ら持ち込んだ古いシャツとズボンを取り出して着る。  巣鴨プリズンに収監されて、すでに一年半以上が経っているが、甲本の血縁者が彼を訪ねて来たことは一度もなかった。

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