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第12章⑭

 警報と異なり、二発の銃声はプリズンの敷地の至る所に届いた。 「今のは……」  クリアウォーターは首をめぐらせ、銃声が聞こえた方向を見定めようとした。クリアウォーターが現場へ向かいかねないと思ったカトウは、軍服のすそをつかんで牽制する。 「危険です。ここから動かないでください」  残念ながら、クリアウォーターはオーケーとは答えなかった。 「どこで発砲があったか分かるか、カトウ?」 「…多分、運動場の方です」  カトウの耳がなまっていないのなら、あれは小銃ではなく拳銃の発砲音だ。  それもアメリカ陸軍の制式拳銃であり、カトウも携帯している四十五口径コルト・ガバメントのものではない。 ――一体、誰が撃った?  カトウの顔は、先刻までとはまるで別人のように鋭く引きしまっていた。身体も心も、すでに臨戦態勢に入っている。必要とあれば、腰のベルトに下げた四十五口径はいつでも抜ける。もし、こちらに危険が迫ってくるようなら、身を挺してクリアウォーターを守るのが、自分の役目だと心得ていた。  その時、三発目の銃声がプリズン内に響きわたった。  巣鴨プリズンでは敷地を取り囲むコンクリートの壁に沿って、その外縁に七つの見張塔が設けられている。その内、死刑を執行する刑場のすぐ外側にあるのが、第二見張塔である。  甲本が観音堂の窓から転がり出て撃たれるまでの一部始終を、そこに勤務する監視兵が見ていた。異常事態の発生を知った兵士は、急いで携帯していたガーランド銃を観音堂の方へ向ける。その直後、三発目の銃声が上がって、建物の入り口から男がひとり、飛び出してきた。  囚人ではない。ひげ面の男は先刻、本部から探すように連絡が入ったカナモト牧師だった。 「助けてくれ(Help)!」  牧師は必死の形相で叫んだ。第二見張塔のある方角へ近づいてくるが、足元がおぼつかず、今にも倒れそうだ。血まみれの服で、右手で左脇の下を押さえる姿は、怪我を負っているようにしか見えなかった。 「何があった!」  ガーランド銃をかまえたまま、監視兵は大声で呼びかけた。もしも接近してきたのが無傷の囚人であれば、こうはならなかったはずだ。その場で停止するよう命じ、何発か威嚇射撃を行っただろう。少なくとも、両手を上げさせ、武器や危険物を持っていないことを確認したはずだ。  だが、相手が顔見知りの、それもであったこと、さらに負傷して何かから逃げているように見えたことが、監視兵の判断と取るべき行動を誤らせた。何より、カナモトを探して連れてくるように言われはしたが、その理由はまだ現場の兵士たちに十分、伝えられていなかった。  そのことが結局、このあと起こる取り返しのつかない事態を招くことになった。  カナモトは息も絶え絶えに、英語でまくしたてた。 「撃たれた! 囚人に撃たれたんだ! 彼はまだ建物の中にいる!」  兵士は最初の銃声が聞こえる直前に、慌てた様子で観音堂へ駆け込む手塚の姿を目撃していた。 ―ーあの囚人が二人の人間を撃った。  兵士は勝手にそのように理解し、まんまと牧師の口車に乗せられてしまった。手塚がすでに刺殺されて、死体となっていることは知る由もない。  今にも銃を持った囚人が建物から出てくるのではないか――そう考えた兵士は、ついにガーランド銃の銃口を牧師から外し、観音堂の入口へ向けた。 「できるだけ、壁に近寄って! すぐに救援が来る……」  言いかけた兵士のすぐそばに、何か黒っぽいものが落ちてきた。金属床に触れて、ごぉんと重々しい響きをたてる。  思わず足元に顔を向けた監視兵は――両目を最大限に見開いた。  そこに転がっていたのは、この場に存在するはずがないもの――日本軍が使用していた手投げ弾「キスカ(九九式手りゅう弾)」だった。  すさまじい爆発音が轟いた。爆風で見張塔のガラス窓が粉々に砕け散り、鉄骨が熱と衝撃であめ細工のように捻じ曲がる。監視兵の肉体は大小にちぎれ、火の粉と一緒にばらばらと地面に落ちていった。  

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