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第13章④
「――まあ、まだ危険は残ってたんだけどな。村の連中、降りて来た俺を見て、米兵だと勘違いしたらしい。あやうく、鍬 やなたで袋だたきにされかけた」
言いながら、黒木は火鉢で沸かした白湯を湯飲みに注いですすった。その手の甲に青あざができていることに、金本は気づいた。
「B公 に体当たりした時、操縦席のどこかにぶつけたらしい。頭にもコブがあるぜ。それにほら……額もまた切った」
黒木が指さしたところに、確かに血が固まったばかりの切り傷があった。
落下傘降下してきたのが日本兵と分かってからが、またちょっとした騒ぎになった。
山奥の集落には電気がまだ通っておらず、電話もない。使いたければ、隣の隣にある村まで歩いていかなければならない。本来なら、連絡を受けた警察官なり憲兵の到着を待つべきところだ。
けれど、短気な黒木がじっとしていられるはずもなかった。
集落でいちばん大きな家で切り傷を消毒し、包帯を巻いてもらうと、礼がわりに家の子どもにヒビが入って使い物にならなくなったゴーグルを与え、そのまま自分の足でふもとまで下りて行った。
「――で、やっとこさ京王線の駅に出たはいいが、空襲のせいで運行時間はメチャメチャだし、寸断されてた区間もあって、ここにもどった頃には十二時回ってた。まったく、えらい目に遭ったわ」
「電車に乗って帰って来たんですか」
「ほかにどうしろと?」
「いや……」
「それもずっと立ちっぱなしだったから、余計につかれた」
飛行服姿の黒木が落下傘をかついで、つり革につかまる姿を金本は想像した。
きっとほかの乗客は、避けて遠巻きにしていたに違いない。
「憲兵が来るのを待っていた方が、車に乗せてもらえて早く帰って来れたと思いますよ。変な誤情報もすぐ打ち消せたでしょうし…」
「は? 誤情報?」
「青梅に行った笠倉 曹長たちが、あなたの死体を見つけたと報告してきたんですよ」
これには、さすがの黒木も二の句が告げないようだった。
「……いったい、何を見間違えたらそうなるんだよ」
金本も同感だった。
「それともあれか。ここにいる俺は幽霊か何かで、実はもう死んでいるとか」
「今、白湯を飲んでいるでしょう。飲み食いができる幽霊がいるなんて、聞いたことがないですよ」
「それもそうか」
黒木はあっさり納得した。
「あれ? ということはお前以外、全員、まだ俺が死んだと思い込んでるのか?」
「そうなりますが、それが何か?」
「いや、せっかくだから、幽霊のふりしておどかしに行ってやろうか。今村あたりが腰をぬかすんじゃないか」
「絶対に、やめてください」
即座に金本は止めた。『はなどり隊』の面々は米軍機に立ち向かう勇気はあるものの、なぜか怪談話が苦手な人間が複数いる。腰をぬかすどころか、気絶者がでそうだ。というか、不謹慎が過ぎる。
幸いというべきか、黒木は幽霊に変装する案にそれほど執着はなかったようだ。嬉々として準備することもなく、座ったままあくびをした。いいかげん、眠そうだった。
「布団、敷きますか?」
金本がたずねると、黒木は目をこすって「頼む」と答えた。
黒木が寝室に使っているのは離れの奥の四畳半だ。家を空けていた時間が長かったせいで、薄暗い部屋の温度は外と変わらない。冷え冷えしていて、息を吐くと煙のように白くにごった。
部屋のすみにあった布団をひいて戻ってくると、黒木は火鉢のそばで座ったまま目を閉じていた。眠ってしまったのか――金本が様子をうかがおうとかがむと、すっとまぶたを開けた。
黒木は、出し抜けにたずねた。
「他の連中はどうなった? 工藤は…」
金本は答えにつまる。その反応で黒木は察したようだ。
「全員、死んだのか?」
「いいえ。ひとりだけ帰投しました。けれど、残りの二人は戦死しました。工藤もです。俺と今村少尉と東で墜落現場に行って、亡骸を引き取ったんです」
「……そうか」
言ったきり、黒木はしばらく口をきかなかった。
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