234 / 370

第13章⑦

 カーテンの隙間から、朝日の光がちらちらともれている。  その眩しさで、黒木は眠りから目覚めた。まだ半分寝ぼけていたが、自分がどこにいるかはすぐに分かった。下宿の布団の中だ。見慣れた日常の光景である。  ただ、いつもと違って何やら暖かくて重たいものが、背中に覆いかぶさっていた。 「……?」  その正体をつかもうと、黒木は寝返りを打つ。  目と鼻の先、同じ布団の中で金本が熟睡していた。 「―――って……!?」  驚きで完全に目が覚めた。と同時に、昨夜の記憶ももどってくる。  黒木は毛布をはねのけ、身を起こした。服を脱がされた形跡はない。身体も清いままだ。  それを知った途端、むらむらと怒りが湧いてきた。  理不尽な怒りのおもむくまま、黒木は金本の首を思いっきりつねった。  うめき声を上げて、同衾(だけ)していた相手が目をさました。 「なにするんだ! いきなり……」  文句を言いかけた金本は、そこで黒木の表情に気づいた。 「……怒っているのか?」 「(べぇ)ぇつに」  黒木は顔をぷいっとそむける。  機嫌を損ねた理由に皆目見当がつかず、金本は困惑した。 「なあ…俺が何かしたなら、教えてくれ。何がまずかったかって……」 「……何もしてねえから、怒ってんだよ」  腹の虫がおさまらない黒木は、金本のふところに頭突きを入れた。もっとも全然、勢いがなかったので、単に相手の胸にもたれかかったようなものだったが。 「……あそこまでいったんなら。そのまま抱けよ」  言ってから、さすがの黒木も気まずくなった。うつむいたまま、顔が妙な具合にほてってくる。自分の言い方が、まるで客に途中で逃げられた商売女みたいに思えてきて嫌気がさした。  しかし――。 「…今からするか」  思いがけず降ってきた言葉に、黒木は顔を上げた。 「その、昨日の続きを…」  金本の口調はたどたどしいが、表情は真剣だった。そこに、かすかだが欲情も混じっていることを認めた黒木は、たちまち半分くらい機嫌を直した。 「する」  黒木は答え、金本の背に手を回した。  そのまま、先ほどまで寝ていた布団に倒れこもうとした時だ。  表の方で人の気配がした。直後、下宿の玄関の戸がたたかれた。 「すみません。黒木大尉どの! いらっしゃいますか?」  黒木も金本も、ぎょっとして動きを止めた。二人とも、声の主が今村だと即座に気づいた。 「…やっぱり、いないんじゃないですか」  こちらは『はなどり隊』の搭乗員、松岡の声だ。 「家の主人も、姿を見ていないと言っていましたし」 「うーん…だが、昨日の夜遅くに、駅で飛行服姿の男が降りてくるのを見たと、確かに駅員が言っていたんだ。ここに、帰ってきているかもしれない」  玄関ごしに今村と松岡の会話が聞こえてくる。内容から判断するに、二人ともどういうわけか黒木の生存をすでに知っているようだ。 「松岡、ちょっと回って、窓の方を見てきてくれ」 「わかりました」  金本は慌てて部屋の中を見わたした。灯火管制が敷かれていることもあり、昨日、灯りをつける前に窓のカーテンはすべておろした。だから、外から中は見えない……はずだ。  けれども、いつまでも居留守(いるす)を続けるわけにもいかない。 「隣の部屋に隠れていろ」  黒木が金本の耳元でささやいた。  金本は言われた通りにした。なにぶん、ここにいる理由をうまくでっちあげて、今村たちに説明する自信はまったくない。隠れてやり過ごすに、越したことはなかった。  金本はたたんで置いてあった自分の飛行服を手に、音もなく隣室にすべりこむと、ふすまをしめた。 「上出来」  黒木は声を出さずにつぶやく。  しかし玄関に目をやって、すぐにまずいことを二つ発見した。  ひとつ。昨日、戻ってきた時にうっかり玄関の鍵をかけ忘れた。  ふたつ。金本の飛行靴が土間に置きっぱなしになっている。  さらにまずいことにちょうどその時、外にいた今村が試すつもりで玄関の戸に手をかけた。

ともだちにシェアしよう!