237 / 370

第13章⑩

「どうしたんですか。この干し柿?」  ひもで縛られたままの柿を手に、金本が言った。 「近所の農家からもらったんだ」黒木が答えた。 「今村や千葉にも何十個かまとめてくれてやったんだが、家にまだ百個くらい残っている。柿以外にも、野菜やらなんやら数時間おきに届くんだ。この食糧難のご時世大したもんだよ」  有名人になるのも悪くないと、黒木はつぶやき、金本の見舞いに持参した柿のひとつをほおばった。 「ん、甘い。お前も食えよ」 「…いただきます」  小刀でひもを切って、金本もかじりついた。黒木の言うように確かに甘い。  患者用のベッドに座り、黙々と食べていると、脇の木椅子の上で黒木が何か思いついたように笑みをひらめかせた。 「…柿食えば 警報なるなり 空襲時(くーしゅーじ)」  聞いていた金本は果肉を飲みそこなって、のどにつまらせかけた。 「……おい」 「はは。安心しろよ。本当に鳴ったら、背負って防空壕まで連れて行ってやるよ」 「そういうことじゃない」  あいも変わらず、不謹慎な黒木の言動だった。金本が文句を垂れかけた時、ちょうど看護婦が病室に入って来た。 「金本さーん。お熱をはかりますね。あら…」  看護婦はそこで、さも見舞い客に気づいたように目を瞠いた。 「あらあら、隊長さん。今日もいらしてたんですね。本当に部下思いの方ですね」  その声は干し柿よりも甘ったるいくらいだ。黒木は軽く会釈する。  一方、体温計を口につっこまれた金本は、仕方なく黒木への不満の言を飲み込んだ。  看護婦が出て行ったあと、黒木はにやにやしながら金本を振り返った。 「お前、一時間おきに体温計をくわえさせられてるよな。いい加減、あきてきただろう。水飴でもつけてもらったらどうだ」 「よけいなお世話です」  金本はふてくされた。  無断で病院を脱走した一件は、金本が想定していた以上に軍医の逆鱗に触れたようだ。  のこのこと戻って来た患者を前にして、医者は噴火の一歩手前の火山のような顔で、 「今度、同じことをやったら、拘束具つきのベットに寝てもらう」と宣言した。  言うだけでなく、実物を見せられたものだから、さすがの金本も恐れ入って、退院するまでおとなしくしていようと決意した。  恐怖のベッドはまぬかれたものの、病室は看護婦が見張りやすい部屋に移された。そして検温やら何やら理由をつけて、金本は四六時中、看護婦たちに小突き回される羽目になった。監視するというより、患者を逃がしたことで軍医に叱責された腹いせだろう。白衣の天使から復讐の女神と化した彼女たちは、抵抗できない患者が退院するまでの短い間、存分に本懐を遂げるつもりのようだった。  もっとも、昼間の何時間かは、看護婦たちは借りて来た猫のように態度を変える。猫の皮をかぶると言った方がしっくりくるかもしれない。その理由が、見舞いと称して金本の病室に入り浸っている黒木にあるのはまず間違いなかった。  金本は、中山が昨日、届けてくれた新聞を見やった。  そこには「天空に巨鯨を一突き 脱出して地上へ帰還」という見出しと共に、黒木の体当たり生還のことが報じられていた。  新聞で報道されたことで、黒木は一躍、時の人となっていた。干し柿や野菜は序の口で、戦隊本部には、全国から手紙やはがきが束になって届いてきているらしい。紙面にたまたま写真は掲載されなかったが、載っていたらおそらく、女からの手紙が何倍にも膨れ上がっていたことだろう。  黒木の美男子ぶりは病院の看護婦たちも圧倒したようだ。一時間おきに入れ替わり立ちかわりやってくる彼女たちは、むだに顔の良すぎる見舞い客に気に入られようと、金本をにして余分な優しさと女らしさを見せつけて、去っていくのだった。  そのことを金本が指摘すると、黒木は鼻で笑った。黒木にとって、女性たちのそうした反応は、ことさら珍しくもないようだ。思い返せば以前、金本が黒木の下宿に招かれた時も、女中が似たような愛想のよさを見せていた。  男所帯である飛行場にいると気づかれにくい黒木の一面であった。

ともだちにシェアしよう!