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第13章⑪
「ところで、三日連続ここで過ごしていますが、いいんですか?」
「ほかにすることもないからな」
黒木はあくびをかみころし、頭の後ろで手を組む。
「戦隊長どのからは、しばらく自宅で休養するよう言いつけられている。俺が飛行場にいると、新聞記者なんかがやって来て何かと面倒らしい。それに飛ぼうにも肝心の飛行機がない」
黒木の愛機は体当たりで片翼を失った後、青梅に墜落して最後を迎えた。新しい飛燕を手配しているところだが、納入されるのはもう少し先になるとのことだ。
「安心しろ。下宿の玄関に、お前の見舞いに行っていると、張り紙を貼ってきている。戦隊の連中なら、それで場所が分かるだろ」
「ご家族の方が来た場合は…」
「来ねえよ」
黒木の言い方には、確信がこもっていた。
「安否をたずねる電報のひとつも、寄こしやしない。今さら、会いたくないんだろう」
妾腹の子である黒木は、義母や異母姉妹と関係がよくない。そのことを金本は思い出す。
「血がつながっていて、一緒に住んでいたとしても。それだけじゃ、家族にはなれないのさ」
大したことではない、という風に黒木は言った。それでもほんの一瞬、やるせなさが顔によぎる。それを隠すように、看護婦たちが近くにいないことを確かめると、黒木は金本に素早く口づけた。
「…柿の味がする」黒木が言うと、
「俺も同じことを思いました」金本が答えた。
聞いた黒木は子どものように笑った。それから内緒話でもするように、金本に顔を近づけたままささやいた。
「――まだ確定した話じゃないが。戦隊長どのが言うには、どうやら俺は『はなどり隊』に戻れそうだ」
「本当ですか…!?」
「ああ。あんまり喜ぶのも、どうかと思うが…」
黒木は珍しく言葉をにごす。愁眉の裏で何を思っているか、金本は察しがついた。
黒木が『はなどり隊』に復帰するということは、特別攻撃隊から外されるということであり、その席がほかの航空兵によって埋められるということだ。
次に誰が選ばれるかは分からない。だが、よほどの幸運にめぐまれない限り、その人間は遠からず、B29への体当たり攻撃で死ぬことになる――。
特攻で死んだ工藤のことを金本は思い浮かべた。遺品となった将棋の駒は今、黒木の手元にある。将棋の駒だけではない。先に戦死した米田がピストに置いていった野球のボールや、特攻隊として出撃して死んだ搭乗員のささいな私物も、彼らの遺品を整理する時に居合わせた黒木が取って行った。
泥棒をしているわけではない。思い出すためのよすがに、もらっていったのだと、黒木は言っていた。
死んでいった者たちを忘れぬために、その持ち物をとどめておく――記念品を集めるようなやり方に反発を覚える者もいるだろう。けれども、金本はこの点に関しては反感は持っていない。自分が死んでしまっても、そういう形で黒木に思い出してもらえるのなら、十分、救われる気がした。
金本はひもを切って、もうひとつ干し柿をかじった。指先で中の種をほじくりだし、それをしげしげと眺める。
「この種を植えたら、芽がでますかね」
「うまくやればな」
「そしたら、また柿の実が食べられる…」
「『桃栗三年、柿八年』って聞いたことないのか。実がなるとしても、だいぶん先の話だ」
黒木は「お前、存外、食い意地が張っているな」と笑った。
そうやって金本と黒木は面会時間が終わるまで、とりとめのない話を続けた。二人の間で、空中戦のことが話題にのぼらないのはかなり珍しいことだ。それ以上に、なにげない話がまったく苦痛にならず、むしろ延々と楽しんでいられることに、金本は自分で驚いていた。
飛行場を離れ、航空兵の任務からも外れた穏やかな時間であった。
……もしも黒木と金本が調布飛行場にいたなら、このような暢気な気分を味わうことはできなかっただろう。
まさにこの時、二人が預かり知らぬところで、黒木と金本の運命は大きく捻じ曲げられようとしていた。
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