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第13章⑬
前のめりになって熱弁をふるう小脇の横で、河内がうなずく。
大本営参謀部の大佐はかんで含むように言った。
「そのために――特攻を象徴する軍神と神話が必要なのだ」
戦隊長は息を飲む。その反応を見た河内が薄く笑った。
「ようやく理解してもらえたようだな。そうだ。あの黒木は頑迷で傲慢な男だが、航空兵として突出した実績がある。見栄えについて言えば完璧に近い。まさにうってつけだ。あと必要なのは――鮮烈な散りざまだけだ。なに、そう難しいことではない。空の上で死んでくれさえすれば、あとはこの小脇少佐がやつの死を感動的に飾り立ててくれる」
河内は煙草を吸わない。しかし、その息と共に吐きだされる言葉は、明らかに聞く者の精神に有害な作用をもたらすようだった。
「戦争遂行の大義のために、黒木の死が必要だ。分かってくれ」
河内に迫られた戦隊長は、正常な判断力を失いぐらつく。それでも、なお抗弁を試みた。
「なぜ黒木だけでなく、金本曹長も?」
「金本勇が朝鮮人であることは?」
「知っています」
「やつの本名は金蘭洙という。この名を聞いて、思い当たることはないか」
戦隊長は途方に暮れる。何も思いつくことはなかった。
河内は頭の悪い生徒を前にした教師のように説明してやった。
「今から七年前、恐れ多くも皇太子殿下を爆殺せんとした朝鮮人がいただろう? その大逆人、金光洙の弟が金蘭洙――すなわち金本勇だ」
戦隊長はそれを聞いて心底、驚いた。
「金光洙の弟が、熊谷飛行学校に在籍していたという話は、小耳にはさんだことがありますが…とうに、軍から追放されたものと思っていました」
「ところが、そうなっていなかった。まったく、大逆人の弟の分際で、金本は今の今まで厚顔にも生き恥をさらしてきた。だが、それも終わりだ。今こそ、国のために死ぬべきだ。大逆人の兄によって背負わされた汚名を、弟が自らの死によってそそぐ。最高の美談じゃあないか。うん?」
戦隊長の顔をのぞきこみ、河内はとどめとばかりに言った。
「今まで、体当たりを躊躇する者たちに、散々、手を焼かされてきただろう。だが、今後はただ一言、こう言えばいい。『黒木と金本に続け』と。あの二人は死ぬことによって当代の軍神となり、生きているよりはるかに国のために働いてくれるだろう」
それからまもなく、河内は小脇と共に戦隊本部の建物から現れた。停めてあった公用車に乗り込もうとした時、河内は不肖の親族が建物近くをうろついているのを発見した。
小脇を先に車に乗り込ませると、河内はわざわざ笠倉孝曹長に近づいていった。
大叔父を前に、笠倉は硬い表情でしゃちこばる。
河内は彼に向ってただ短く、こう告げた。
「貴様のすべきことをしろ。よいな?」
「……はい」
笠倉の返事に河内は満足して、その場をあとにした。
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