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第13章⑮

 二つの影法師がひとつの生き物のように重なり合う。  柔らかいものをかむ音に時々、悩ましげな吐息が混じる。明かりを灯していない部屋の中で、金本は黒木の後頭部に手をまわし、相手の唇と舌を存分に貪った。  黒木の下宿まで追いかけっこは続き、たどりついた時にはさすがに二人とも息が上がっていた。ゴールテープを争う陸上選手さながらに、金本と黒木は玄関へ飛び込む。そのまま、靴を脱ぐのももどかしく、入ってすぐの部屋でキスをはじめた。  二人とも、靴と飛行帽を取っただけで服を着たままだった。  先ほどまで黒木は余裕ぶっていたが、今はもう冗談を言う気も失せていた。金本の口づけは相変わらず強引だったが、最初の頃より明らかにうまくなっていた。見舞いの間、二人きりになるとすぐに接吻を交わしていたが、黒木が知らぬ内にその技巧を真似て上達したらしい。物覚えのよさはいかにも航空兵らしいと、黒木は妙な形で感心した。  正直このまま、黒木はもう少し金本との口づけを楽しみたかった。けれど、先ほどからしきりに固いものが太ももに当たってくる。金本の方を盗み見ると、この先に進みたいことがありありと見て取れた。  黒木は名残惜しげに唇を離した。 「隣の部屋に……布団、もう敷いてあるから」  声に喘ぎが混じって、まるで自分のものでないようだ。  金本は何も言わず、黒木の腕をつかむとそのまま隣へ引きずっていった。求められていることが、引っ張る手の強さから伝わってきて、黒木は頬が熱くなるのを感じた。  下宿を出る直前まで、黒木は火鉢を使っていた。部屋を暖めるには十分ではなく、室温は外より少しましという程度の温度だ。だが、かまわない。顔も手のひらも、腹のあたりも、すでに汗ばむくらいに温かかった。  黒木は飛行服を脱いだ。セーターとその下に着ていたシャツも。上半身が裸になったところで金本の方を見やる。金本もすでに服を脱ぎ、上に何も身に着けていない状態だ。その恰好で、ぼうっと黒木の方を見ていた。 「どうした?」 「…見とれていた」  金本がたくましい腕を伸ばし、なめらかな黒木の肩にそっと触れる。そして不意に、 「桜」  とつぶやいた。  首をかしげる黒木に金本は言った。 「日本に来た最初の春、夜に桜を見る機会があったんだ。無数の花をつけた木から、白い花びらが風に舞って……その姿が、この世のものと思えないくらい美しかった。つまり、何が言いたいかっていうと…」 「俺は桜の花みたいに、きれいってことか?」 「うん。お前は、桜の化身みたいだ」 「…それ。今までお前が言った中で、一番、気が()いているセリフだよ」  黒木は部屋が暗くてよかった、と思った。  こんなことを言われた後で、金本の顔をまともに見る自信がなかった。 「…いいかげん、寒くて風邪ひきそうだ」  照れくささとうれしさを覆い隠し、黒木は言った。布団に腰を下ろすと、ぞんざいに両足を投げ出す。  それから、上目づかいに金本に向かってささやいた。 「こっちに来て、暖めてくれ」

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